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【第0章第13話】旅行の青春をもう一度…

2015年の夏休みは、俺にとって「某妖怪」ゲームに没頭し、ゆっくり実況の調査を進める期間だった。しかし、それだけではない。この時期、そして高校生活を通じて、俺にはもう一つの大きな楽しみがあった。

それは、青春18きっぷを使った鉄道旅行だ。

まとまった自由な時間が多かった俺は、この切符を使って日本各地を旅していた。

夏の太陽が照りつける中で、俺の探求心は、鉄道という無限の可能性を秘めた世界へと駆り立てられていた。それは、単なる移動手段としての鉄道ではなく、それ自体が目的となるような、深い魅力を持っていたのだ。


目次

青春18きっぷの魅力:自由と発見の旅、そして鉄道車両への飽くなき探求

青春18きっぷ。それは、JR線の普通列車が乗り放題になる、旅好きにはたまらない魔法の切符だ。

春、夏、冬と、季節休暇に合わせて発売されるこの切符は、その名の通り、まるで青春時代の自由を象徴するかのようだった。5枚綴りで、一人で5日使うもよし、五人で一日使うもよし。

新品で購入するか、あるいは友人と分け合って3枚以上の残りで手に入れることもあったが、ほとんどの場合、俺は自分一人で全枚数を使い切っていた。

1人旅の魅力は、何にも縛られず、自分の行きたい場所へ、自分のペースで進めることだ。時刻表とにらめっこし、乗り換え時間を計算し、効率の良いルートを考える。

それは、まるでパズルを解くような知的な面白さがあった。

乗り換え案内アプリも今ほど充実していなかった当時、分厚い時刻表をめくり、鉛筆でルートを書き込む作業も、旅の楽しみの一部だった。

なぜ、当時の俺が青春18きっぷにこれほど夢中になったのか。

それは、一言で言えば「お金がない」からだ。

高校生のお小遣いでは、特急や新幹線に乗って遠出するなど夢のまた夢だった。

新幹線に乗るには、何ヶ月分ものお小遣いを貯めなければならない。

しかし、18きっぷがあれば、時間はかかるものの、全国どこへでも行ける。鈍行列車に揺られ、時間をかけて目的地を目指す旅は、特急列車では味わえない、独特の趣があった。

速度は遅いが、その分、車窓から流れる風景をじっくりと眺めることができる。

地方の小さな駅に停車するたび、そこで乗り降りする人々の姿や、駅舎の風情に触れることができた。それは、日本の多様な顔を肌で感じる貴重な機会だった。

時間に縛られないからこそ、予期せぬ発見や出会いがあり、それが旅の記憶をより豊かなものにしていった。

そして、当時の俺にとって、この旅の大きな魅力は、何よりも「車両の個性」にあった。

今はJRの車両がほとんど画一化され、テクノロジーを追求した効率的な車両ばかりで、国鉄形と呼ばれる古い車両は貴重になりつつある。地方に行けばまだわずかに残っているとはいえ、当時から淘汰は着実に進んでいた。新型車両は、どこか無機質で、機能美に特化しているように感じられた。

だが、10年前の2015年頃は、地方に行けばまだまだ数多くの国鉄形車両が残っていたのだ。

それらは、それぞれが独自の歴史と物語を背負っているかのように見えた。車両によってデザインはもちろんのこと、内装の座席の色や配置、吊り革の形一つとっても個性が強く、それぞれが独自の「顔」を持っていた。

同じ路線を走っていても、来る車両によって雰囲気が全く違う。座席がクロスシートで向かい合わせに座れたり、ロングシートで通勤電車のようだったり、窓の大きさが違ったり。

それは、まるで生き物のように感じられ、一つ一つの車両との出会いが、旅の大きな楽しみとなっていた。色とりどりに塗られた地域の特色を表す車両を見るたび、俺は心躍らせた。地域によって異なる塗装は、その土地の文化や風土を反映しているかのようで、飽きることがなかった。

特に、国鉄形車両には、独特の「味」があった。乗り心地は決して快適とは言えないものも多かったが、揺れる車体、モーター音、そして少し古びた内装は、どこか懐かしさや温かみを感じさせた。

窓を開ければ、外の風や匂いを直接感じることができた。それは、単なる移動手段を超えた、五感で感じる体験だった。新型車両がどんなに高性能になっても、この「味」だけは、国鉄形車両にしか出せないものだと感じていた。

車両一つ一つの構造や歴史、そしてそれを生み出した人々の思いにまで考えを巡らせる。そんな深い探求心を、鉄道は俺に与えてくれた。

1人旅行で行くことがほとんどで、その行先は様々だった。

群馬県の温泉地である草津温泉や、風光明媚な自然が広がる水上などをはじめ、時には長野県の松本、遥か西の広島、四国の玄関口である高松といった、遠い場所まで足を延ばすこともあった。

鈍行列車に揺られて何時間もかけて目的地に着いたときの達成感は、何物にも代えがたいものだった。早朝に家を出て、乗り換えを繰り返し、日が暮れる頃にようやく目的の駅に到着する。

その道のり自体が、一つの冒険だった。

車窓から流れる日本の田園風景や、地方の町の景色、そして人々の生活を眺めるのは、鉄道の旅ならではの醍醐味だ。地方の小さな駅で、地元の人が乗り降りする姿を見たり、珍しいご当地グルメを駅の売店で買ってみたり。それぞれの土地で、その地域特有の文化や風景に触れることができた。

それは、テレビやインターネットの情報だけでは得られない、生きた体験だった。

本当は、鉄道旅行の目的は、単に鉄道に乗ることだけではなかった。

本来ならば、目的地での観光場所まで含めて、旅の楽しみを味わいたかった。

例えば、草津温泉なら温泉街を散策したり、松本なら松本城を見学したり。しかし、お金がない高校生には、それもまた難しかった。宿泊費や食事代、観光施設の入場料まで含めると、とてもじゃないが予算が足りない。

だから、俺の旅は、ほとんどが「鉄道に乗ること」がメインだった。

それでも、車窓から見える景色や、駅弁を頬張りながら進む列車の旅は、十分に俺を満たしてくれた。時に、途中駅で降りて、数時間後の次の列車を待つ間に、駅の周りを少しだけ散策することもあった。

それは、まるで「立ち食いそば」の感覚で、その土地の雰囲気を少しだけ味わう、ささやかな楽しみだった。


俺の鉄道旅行記:忘れられない旅の記憶

俺の青春18きっぷでの旅の中でも、特に印象深い場所がいくつかある。

1. 横川碓氷峠:鉄道の歴史を肌で感じる場所

まず、忘れられないのが横川碓氷峠だ。ここは俺にとって、何度も足を運んだ特別な場所だった。JR信越本線の横川駅から、かつてのアプト式鉄道の跡地を辿るこの場所は、鉄道車両に限らず、その碓氷峠に建つ建物の歴史にもかなり深い物語が刻まれていた。

煉瓦造りのトンネルや橋梁、廃線となった線路が、まるで時が止まったかのように残されている。現役時代の機関車が保存されている鉄道文化むらも隣接しており、鉄道ファンにとってはまさに聖地だった。

碓氷峠へ行くなら、軽井沢や安中榛名などの新幹線に乗るより、高崎から在来線に乗ったほうが早いというのも、碓氷峠に行く特徴的な経路だ。

高崎駅から横川駅までは約30分と短い乗車時間だが、車窓からは風景が劇的に変化する。

最初は都会の郊外の景色が広がるが、終点に近づくにつれて、周りは山だらけになる。

信越線は、たまにSL(蒸気機関車)が走るイベント列車が運行される路線でもあり、その姿を撮影しようと多くの鉄道ファンが訪れる絶好の撮影スポットでもあった。真っ黒な車体から白い煙を吐き出しながら、力強く走るSLの姿は、いつ見ても感動的だった。

実際に高校時代に1回だけ、友人と一緒に碓氷峠へ行って、上ったことがある。

アプトの道と呼ばれる遊歩道を歩き、かつての線路跡を辿っていったのだ。あの時は暑い時期もあって、体力的にかなりきつく、途中で汗だくになった。

それでも、目的地の第3橋梁(めがね橋)までしか行けなかったが、その雄大な姿を見たときは、それでも十分すぎるほど満足した。

煉瓦造りのアーチが連なる美しい橋梁は、まるで絵画のようだった。そこから見下ろす谷の景色は、疲れを忘れさせるほどの絶景だった。碓氷峠は、群馬に行くならぜひとも一度行くことをお勧めしたい、

鉄道の歴史と自然の美しさが融合した、まさに穴場スポットだ。

2. 会津若松:初めての東北、長時間の旅路

東京から福島県の会津若松まで、青春18きっぷを使って行ったこともある。普通、東京から会津若松へ行くなら、東武鉄道の特急列車を使うか、あるいは新幹線で郡山まで行き、そこから在来線に乗り換えるのが一般的だろう。

どちらのルートも、短時間で快適に移動できる。だが、お金のない当時の俺だったからこそ、青春18きっぷという制約の中で、時間をかけてその経路を選んだのだ。

もちろん、移動時間はすごく長かった。

何度も乗り換えを繰り返し、早朝に出発して、会津若松に到着したのは夕方近くになったと記憶している。朝食は駅で買ったパンを頬張り、昼食は車内で駅弁を食べる。

そんな旅のスタイルだった。あと何気に、実はこの時が初めての東北地方だったという記憶がある。

約6時間という長い時間をかけて、ようやく見慣れない東北の風景が広がったとき、俺の心は大きな感動に包まれた。それまでの関東地方とは異なる、雄大で豊かな自然の景色に、深く息をのんだ。

3. 伊豆高原:18きっぷの贅沢、リゾート列車に乗る感動

今までの旅の中で、一番豪華だと思ったのはやはり伊豆急行の伊豆高原へ行った時だ。

伊豆急行線は、JR伊東駅から先の私鉄区間となるため、JRの18きっぷは伊東駅までしか使えない。そのため、伊東駅からは一度清算し、別に伊豆急行の乗車券として使うことにした。

それでも、憧れのリゾート列車に乗れるなら安いものだと思った。伊豆急行線沿いは、海沿いの美しい景色が広がり、観光要素が非常に強い路線だ。

今では特急列車だけでなく、様々な観光列車にも力を入れているほど、観光客誘致に積極的だ。

そして、青春18きっぷにもその恩恵があった。

伊豆急行が運行する「リゾート21」という特急列車が、なんと普通列車として使われることが稀にあったのだ。通常は特急券が必要な列車に、普通乗車券だけで乗れる。まさに、18きっぷユーザーにとっては「当たり」のような列車だ。その列車に当たった時は、かなり運がいいといえる。俺も、何度かその幸運に恵まれたことがある。

いまではWEBサイトがあるためそれを事前に調査すれば狙うこともできるが、最近は車両そのものが40年近く経過しているため故障も多くなっていて、運転しない日も多いらしく、乗るなら今ぐらいがいいだろう。

「リゾート21」の車内は、まさに豪華そのものだった。

特急並みの広々とした座席、そして何よりも特徴的なのは、海側に大きく傾斜した座席配置だ。

まるで船に乗っているかのような感覚で、車窓から広がる太平洋の絶景を心ゆくまで堪能できる。

まるで、海の上を走っているかのような錯覚に陥るほどだった。展望席に座れた時の高揚感は、今でも忘れられない。

伊豆の青い海と空、そして海岸線に沿って走る列車。それは、青春18きっぷの旅の中でも、群を抜いて贅沢な体験だった。


鉄道旅行がメタバースに繋がる理由:未来の交通網への野望と無限の可能性

さて、なぜ今、メタバースの話をしている中で、高校時代の鉄道旅行について語るのか。

それは、この鉄道旅行で培われた経験や思考が、将来『TITAN学園』というメタバースの世界に、個性的な交通網を導入するという俺の野望に深く繋がっているからだ。

現実の鉄道では、どうしても法律や安全面の事情で、交通は個性を磨くのが非常に難しい。

車両のデザイン一つとっても、衝突安全性、防火基準、騒音規制、そしてバリアフリー対応など、厳しい安全基準を満たすために制約が多く、結果的に画一的なものになりがちだ。

デザイナーの自由な発想が、安全規制の壁に阻まれることも少なくない。特に、運転台のデザインや、ホームドアの普及といったものは、車両の個性を発揮する上で大きな制約となるだろう。

例えば、運転台は今後、自動運転技術の進化により「レス化」、つまり運転士がいなくなる方向へと進むだろう。

これにより、運転台の設計の自由度は増すが、それはあくまで技術的な進歩であり、デザインの多様性を保証するものではない。むしろ、安全性や効率性が優先され、画一化がさらに進む可能性もある。

運転士の存在が物理的に不要となれば、運転台という概念そのものが消滅し、車両の最前部は展望室になるかもしれない。しかし、それは「個性」とは少し異なる方向性だ。

また、ホームドアは間違いなく今後も増殖される。これは、利用者の安全を確保するためには仕方ないことだ。

人身事故やホームからの転落事故を未然に防ぐためには、ホームドアは必要不可欠な設備だ。特に、視覚障がい者や小さな子供の安全を考えると、その重要性は増すばかりだろう。

だが、その一方で、ホームドアが設置されることで、ホームからの車両の見え方が大きく制限され、車両デザインの魅力を十分に味わうことが難しくなる。せっかく個性的な車両をデザインしても、その大部分がホームドアに隠れてしまう。発車時に車両全体を見送るという、鉄道旅のロマンが薄れてしまうのだ。

安全と引き換えに、鉄道の持つ「美しさ」や「個性」が犠牲になっている側面がある。現実世界では、こうした物理的、法的、そして安全面の制約が、鉄道の進化と多様性を阻害する大きな壁となっている。

しかし、メタバースの場合はそういった現実世界の制約が関係ない

架空の空間だからこそ、現実世界のような物理法則に縛られない。事故の概念も現実とは異なるため、安全面での制約も格段に少ない。

例えば、物理的な衝突や脱線による人身事故といった心配がないため、車両のデザインは限りなく自由になる。SF映画に出てくるような流線型の未来的なデザインから、中世の馬車を模したファンタジーなデザイン、あるいは、巨大な生き物のような有機的なデザインまで、どんな発想も実現可能だ。

乗客は空を飛ぶ列車で都市間を移動し、深海を潜る列車で海底の秘境を探索する。架線の制約もないから、様々な動力源やエネルギー供給方式を自由に設定できる。

電気も、ディーゼルも、蒸気も、あるいは魔法の力で動く鉄道も、メタバースの中では全てが現実となる。

しいて言えば、車体と線路幅のバランスは、視覚的な安定性やリアリティを保つ上で多少の考慮が必要となるだろうが、それも現実世界のような厳密さではない。

極端な話、線路の上を浮遊する列車や、空中を走る路線、さらには次元を超えて移動するような鉄道さえも、メタバースの中では構築できるのだ。窓の外には、現実にはありえないような景色が広がり、乗客は五感を刺激されるような体験をするだろう。

つまり、メタバースの鉄道は、無限大に広がる可能性があるのだ。

高校時代から、俺は常々感じていた。「もっと面白い電車とか、作れる日が来ないだろうか」と。既存の車両デザインに飽き足らず、未来の鉄道はもっと自由で、もっと創造的であってほしいと願っていた。

例えば、空を飛ぶ電車、海中を走る列車、あるいは、異次元へと誘うようなデザインの車両。そういった、現実ではありえないような発想が、当時から俺の頭の中にはあったのだ。


Youtuberとしての新たな選択肢:旅行・交通系解説動画という可能性と、その断念

この鉄道旅行は、俺のYoutuberとしての活動にも、間接的にではあるが直結する可能性を秘めていた。実は、最初はゲーム実況者としての活動を検討していたが、この旅を通して、旅行や交通に関する解説動画の制作も検討はしていたのだ。

Youtuberの世界では、ゲーム実況と並んで、旅系の動画も人気を集めていた。鉄道という専門分野を持つ俺なら、もしかしたらニッチな層に響くコンテンツを作れるかもしれない。鉄道車両の解説、路線の歴史、旅行の裏技など、語りたいことは山ほどあった。

だが、当時の俺には、それを実現するための大きなハードルがいくつも存在した。

まず、一番の問題は、当時の俺は頭も悪く、説明しても批判を受けるだけだろうという自己認識があったことだ。

鉄道に関しては知識こそ豊富だったが、それを体系立てて、分かりやすく、そして魅力的に説明する能力が圧倒的に不足していた。

専門用語を並べ立てるだけでは、一般の視聴者には伝わらない。

ましてや、動画という形で不特定多数に発信するとなれば、ちょっとした言葉尻や表現の不備で、すぐに批判の的になることは目に見えていた。

インターネットの世界は、時に辛辣な場所だ。

当時、俺は自分の意見を論理的に構築し、他者に伝えることに自信がなかった。批判されることへの恐怖が、このアイデアを見送りにさせていた。

自信のなさ、そして批判に対する過剰なまでの恐れから来る判断だった。完璧主義な傾向も相まって、中途半端なものを世に出すことへの抵抗感が強かった。

次に、ゲームとは異なり、旅行は常にお金がかかるという現実的な問題があった。

青春18きっぷ自体は比較的安価だが、目的地までの交通費、そして現地での飲食費、観光施設の入場料などを考えれば、動画のネタを増やそうとすればするほど、財政的には厳しくなるばかりだった。

コンスタントに動画をアップロードするためには、定期的な旅行が必要となるが、高校生のお小遣いではとても賄いきれるものではなかった。

親に頭を下げてまで、趣味のためにお金をねだるのも気が引けた。

これはシビアに判断した、現実的な壁だった。いくら情熱があっても、資金がなければ活動は継続できない。

おまけに、旅行系の動画は、ゲーム実況では最悪不要なカメラでも、リアルな映像を撮るためには絶対にないと厳しかった

当時、スマホのカメラはまだ性能が低く、手ブレ補正機能も不十分だった。動きながら撮影すれば、映像が激しくブレてしまい、見る人に「見づらい」「画質が悪い」というクレームが来ることは容易に想像できた。

旅の臨場感を伝えるには、高画質で安定した映像が必須だ。

そうなると、ちゃんとしたビデオカメラが必要になるが、それもまた結構高い。少なくとも数万円、良いものを買おうとすれば十万円以上は軽く超える。それだけの投資をして、本当に視聴者を集められるのか、収益化できるのか、全く確信が持てなかった。

リスクとリターンを天秤にかければ、現時点では手が出せないと判断せざるを得なかったのだ。非常に冷静に下した判断だった。

結局、これらの現実的な壁が、俺の「旅行・交通系解説動画」の夢を、一時的にではあるが、断念させる結果となった。

しかし、この諦めは、決して無駄ではなかった。それは、俺がYoutuberとして活動する上で、どのような形式が最も現実的で、かつ自分の強みを活かせるのかを、より深く考えるきっかけとなったのだ。

物理的な制約がある現実の鉄道から、その制約が一切ないメタバースの鉄道へと、俺の夢は形を変えて進化していったのだ。この夏の旅は、俺のクリエイティブな思考に、新たなレールを敷いてくれたのである。

それは、単なる移動手段の体験ではなく、未来の交通のあり方を深く考えるための、重要な一歩だった。

旅の青春:不便さの中に見出した輝き

当時の俺にとって、青春18きっぷを使った鉄道旅行は、まさに「旅の青春」そのものだった。

計画を立てる段階からワクワクし、実際に列車に乗り込めば、目的の駅までの長い道のり自体が、非日常の体験だった。乗り換えのたびに、違う車両に出会い、違う景色が目の前に広がる。時には、全く知らない駅のホームで、次の列車を待ちながら、駅弁を広げて食べる。そんな一つ一つの瞬間が、輝いていた。

新幹線や特急列車に乗れば、目的地に早く着き、快適に移動できることは分かっていた。

実際、社会人になってからは、時間をお金で買う感覚で、そうした列車を利用することが多くなった。

今(2025年)でも、たまに新幹線に乗って旅行をすることもある。

しかし、正直な本音を言えば、本当にこの時の不便さがあるほうが楽しかった

なぜ、不便さが楽しかったのか? それは、きっと「攻略する面白さ」があったからだろう。

限られた予算と、鈍行列車という制約の中で、いかに遠くまで、そしていかに効率的に移動するか。そのルートを自分で考え、実際に実現できたときの達成感は、新幹線では味わえないものだった。

座席の硬さ、揺れ、混雑、冷暖房の効き具合。そういった不便さも、旅の「味」として受け入れ、記憶の一部となっていた。予測不能な遅延や、乗り換えに失敗しそうになった時のハラハラ感。

それら全てが、旅にスリルと深みを与えていた。そして、何よりも、たっぷりあった「時間」があったからこそ、その不便さも楽しむことができたのだ。

社会人になってから、俺は「時間」という最も貴重なものを失った。

仕事に追われ、日々忙殺される中で、青春18きっぷを使って何時間もかけて旅をするような時間的余裕は、ほとんどなくなった。そのため、あの頃の旅の楽しみは、失われてしまったのかもしれない。

今では退職もしているが、今はメタバース『TITAN学園』の創造という、新たなプロジェクトに没頭している。それはそれで忙しく、また新たな「時間との戦い」が始まっている。

しかし、俺の心の中には、あの青春の旅の記憶が、鮮明に焼き付いている。そして、その記憶は、未来への大きなインスピレーションとなっている。

『TITAN学園』が完成をしたら、俺はあの青春を、もう一度メタバースの中で取り戻そうと思う。

現実世界では失われてしまった不便さの中の楽しさ、個性豊かな車両が縦横無尽に走る世界、そして時間にとらわれずに広大な空間を旅する自由。

それらを、メタバースの中に再現したい。

ユーザーが、自分だけの青春18きっぷを手に、時間や距離の制約にとらわれず、個性的な車両に乗って『TITAN学園』の世界を探索できる。そんな交通網を、この手で創り上げる。

それが、高校時代の旅が俺に与えてくれた、未来への大きな宿題なのだ。

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