高校時代という輝かしい黄金期が終わりを告げ、春休みという短い猶予期間も過ぎ去った。そして、2017年4月1日。
いや、正確には4月3日だったか。いずれにせよ、その日は俺にとって、人生の大きな転換点となる日だった。
ついに社会人となり、俺は就職することになったのだ。
「懲役47年」という名の現実
これは社会人であれば、一度は耳にしたことがある記事やジョークだろう。「懲役40年」という言葉を聞いたことはないか?これは、新卒で会社に入社し、およそ40年間働くことを指す。
実際に、65歳までの定年で考えると43年になる。
しかし、これは大卒に限った話だ。
俺の場合、高校を卒業してすぐに社会に出たので、定年まで働くとすれば47年間、同じ会社に所属し続けることになる。さらに中卒であれば、その期間は50年にまで至るという。
うん……。
「重罪だ」
当時の俺は、この言葉の重さを、どこかで漠然とではあるが理解していたのかもしれない。昔の人は、この「懲役」という言葉を、もっと実感をもって捉えていたのだろうか。
高度経済成長期を経て、終身雇用という認識がまだまだ強かった時代。
会社に入れば一生安泰、という考え方が主流だった頃だ。だが、当時の俺は、そんな「終身雇用」という言葉さえ、その意味するところを正確には知らない、世間知らずの高校を卒業したばかりの若者だった。
しかし、知識がなくとも、感覚として理解できることはあった。
今から47年間、同じ会社で働くとなれば、気が重いなというのは、すでに気づいていた。それは、自由を愛する俺の心に、深く、重くのしかかる鎖のようなものだった。
果たして、この長い期間、俺は自分を偽り続けることができるのだろうか。
レールの上の絶望と、密かな逃げ道
当時の俺にとって、この「レールの上」を進むこと以外に、人生を乗り越える方法はまずないという、一種の絶望感があった。社会が用意した道を進むことしか選択肢がないように思えた。
大学に進学する友人たち、あるいはもっと明確な夢を持って専門の道へ進む同級生たち。
彼らと比べて、自分の選択は本当に正しいのだろうかという不安が常に付きまとった。
親の期待に応え、社会の常識に従う。それは、俺の「主張が弱かった」という欠点が招いた結果でもあった。
だが、完全に諦めていたわけではない。
心の奥底では、もうすでにYoutube計画は本格的に動き始めていたため、この時から、俺は自分なりの「逃げ道」を用意していたのかもしれない。会社に就職するのは、あくまで一時的なものを想定していた。
資金を蓄え、経験を積み、力をつけるための「つなぎ」だと。
いつか、この「懲役47年」のレールから、自分の力で降りてみせる。そんな密かな野望が、俺の心の奥底で燃え続けていた。
しかし、当時はまだ知る由もなかった。
この先の道が、まさかこれほどの波乱な人生になるとは、俺は夢にも思わなかっただろう。
会社での経験、人間関係、そして自分自身の内面の変化。それらは、俺の予想をはるかに超えるものだった。
この「懲役47年」という長いトンネルの中で、俺は何度も挫折し、絶望し、そしてまた立ち上がることになる。それは、希望に満ちていた高校時代とは全く異なる、厳しく、そして苦しい道のりだった。
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