そんな社会人初期の俺の1日は、一体どのようなものだったのか。
ここでは、当時の俺の典型的な1日のスケジュールを詳細に振り返ってみよう。それは、高校時代の黄金期とは似ても似つかない、長く、そして重い時間だった。
6:00:起床 – 変わらない習慣、ゲームへの渇望
目覚ましが鳴る前に、いつも自然と目が覚める。時刻は午前6時。高校時代から早起きが習慣になっていた俺にとって、これはデフォの時刻だった。
今でこそ、この時間に家計簿をつけたり、ブログの執筆や動画編集など、自分の作業に取り組むことが多いが、当時は、目覚めてまず何をするかといえば、ほとんどゲームをしていた。
高性能な新しいPCを手に入れたばかりということもあり、夜の短い時間だけでは飽き足らず、朝の貴重な時間さえもゲームに費やしていたのだ。まだ寝静まる街の中で、ヘッドセットをつけ、仮想世界に没頭する。
それは、これから始まる現実の「懲役」から、わずかな間だけ逃避できる、俺にとっての聖域だった。
オンラインゲームの仲間とチャットをしたり、ランキングを上げたりすることに夢中になっていた。この時間が、今日の活力を養う唯一の源だったのかもしれない。
7:00:朝ごはん – 静かなる戦いの前の腹ごしらえ
ゲームを中断し、リビングへ向かう。朝食はいつもこの時間だった。
親が用意してくれた朝食を黙々と食べる。
パンと牛乳、あるいはご飯と味噌汁。当たり前のように食卓に並ぶ食事は、この後の長い1日に備える、重要なエネルギー源だった。
家族との会話もそこそこに、俺は内心、今日の仕事のこと、そして夜にどれだけゲームやYoutuber活動に時間を割けるかを考えていた。食欲はあるものの、どこか上の空だった。
7:20:歯磨き、着替え – 社会の鎧を身につける時間
朝食を終えると、すぐに歯磨きを済ませ、身支度を始める。
毎日、当たり前のようにスーツに身を包んでいく。パリッとしたシャツにネクタイを締め、ジャケットを羽織る。鏡に映る自分の姿は、高校時代の制服姿とは全く異なる、大人の顔つきになっていた。しかし、そのスーツは俺にとって、社会という戦場へ向かうための「鎧」のようなものだった。身につければ身につけるほど、心が重くなる。まるで、本当の自分を隠すための仮面を被るような感覚だった。
7:30:通勤 – 地獄のラッシュアワー
そして、最も気が重い時間がやってくる。午前7時30分。自宅を出て、バス停へと向かう。バスに乗り込み、最寄りの駅で降りると、そこからは電車に乗り換える。これが、正直この時間が一番地獄だった。
当時通っていた高校は都心とは反対側の場所にあったため、通勤時間は長かったとはいえ、電車は比較的空いていて座れるほどだった。座って本を読んだり、音楽を聴いたりする時間は、ある種の休息であり、思考の時間でもあった。しかし、社会人となり、俺が勤務する場所は都心の中心地だ。朝のラッシュアワーは、まさに想像を絶するものだった。
駅のホームは、まるで人間で埋め尽くされたかのような状態だ。電車が到着すると、怒涛の勢いで人が押し寄せる。身動き一つ取れないほどに、体と体が密着する。人の熱気、汗の匂い、そして様々な香水や体臭が入り混じった独特の空気が充満する車内は、まさに地獄絵図だった。リュックは潰され、髪の毛は乱れ、靴は踏まれそうになる。まるで、生き残りをかけたサバイバルゲームのようだ。俺の**「女子版」**の感性は、この人ごみと閉塞感に耐えられず、常に息苦しさを感じていた。吐き気さえ催すこともあった。
今となれば、フレックスタイム制度や、リモートワーク、在宅勤務といった働き方が浸透し、あの地獄のような朝ラッシュを経験する機会は格段に減った。そのため、もうこの時代には戻れないとつくづく思う。あの通勤ラッシュを毎日経験していたこと自体が、今思えば異常だったのだ。当時の俺は、この満員電車の中で、一体何時間分の人生を無駄にしているのだろうかと、ぼんやりと考えていた。
8:30:仕事開始 – 長い「懲役」の始まり
都心まで2時間かけて通勤し、会社に到着。実際に俺の勤務開始時刻はもう少し遅かったが、ここでは特定バレ防止のため、だいたいこの時間から仕事が始まっていたとしよう。
会社に着くと、身だしなみを整え、席に着く。そして、PCを立ち上げ、今日一日の業務に取り掛かる。
入社式はまさに形式的なもので、ほとんど記憶に残っていない。新卒は俺のほかに2人いたが、彼らはおとなしく、俺と比べて遥かに真面目な印象だった。それに対し、俺はとにかく落ち着かない。
新しい環境への興奮もあったが、それ以上に、この「懲役47年」という現実に対する、俺なりの抵抗だったのかもしれない。どこかで、この状況を「面白い」と捉えようとする、俺の中のYoutuber的思考が働いていた。
入社後1ヶ月間は、仕事を覚えることに集中していた。
新しい環境、新しい人間関係、そして新しい業務内容。覚えることは山ほどあった。PCの操作方法、社内システムの使い方、電話の応対、書類の整理。最初は戸惑うことばかりだったが、それでも、少しずつできることが増えていくのは、小さな達成感があった。そのときはまだ新しいことが多かったし、学ぶべきことが多すぎて、他のことを考える余裕がなかったのかもしれない。高校とはまた別で刺激があったのは確かだ。
学校とは違う、社会の仕組みを肌で感じることができた。会社の歯車として、自分が動いているという感覚。それは、これまでの生活とは異なる、新たな刺激だった。周りの先輩社員たちは、皆忙しそうにしながらも、丁寧に仕事を教えてくれた。
この1年目のときは、まだ会社を辞めたいということはなかった。
確かに「懲役47年」という言葉の重みは感じていたものの、それは遠い未来の話のように思えた。
目の前の新しい環境に適応し、仕事を覚えることに必死だった。会社の規則やマナー、人間関係に順応しようと努めていた。この段階では、まだ俺のYoutuber計画は水面下で進んでおり、会社の仕事と両立させようという意識が強かった。
まだ、社会の厳しさ、そして自分が本当に何を求めているのかを深く知るには至っていなかったのだ。希望と不安が入り混じった、社会人としての第一歩が、こうして始まった。
11:00:昼休憩 – 食事と午後の眠気
うちの会社の昼の時間は、他の一般的な会社よりも早かった。
ほとんどの社会人は12時から食事に行くことが多いが、うちの会社は午前11時から昼休憩に入る。
その理由は、郵便作業の関係だと聞いた。
多くの郵便物が午後に届くため、それらを効率的に処理するために、昼休憩をずらしていたという。
他社と時間をずらすことで、郵便局との連携をスムーズにし、午後の作業を13時からスムーズに開始するためだと。
昼休憩中は、スーツを着て作業着のままだが、基本的にラーメンやカレーといった、ガッツリとしたものを食べていくことが多かった。
理由は、午前中の仕事でかなり体を動かすため、消費エネルギーも高く、しっかり食べないと午後がもたないと感じていたからだ。事務作業とはいえ、社内での移動や書類の運搬など、意外と体力を使う場面が多かった。
ちなみにこの頃はゲームを遊んでいたが、スマホゲームというよりは、携帯ゲーム機といったようなものだったと記憶している。
会社の昼休みは、社員食堂で食事を済ませると、残りの時間は自分の席に戻って、誰にも邪魔されずにゲームに没頭する。それは、一日の疲れを癒す、ささやかな楽しみだった。
12:00:午後の仕事 – 眠気との戦い
昼食を終え、再び午後の仕事が始まる。この時間が、俺にとって最も体力的にも精神的にもしんどい時間だった。昼食を食べて満腹になると、途端に猛烈な眠気が襲ってくるのだ。集中力が途切れ、意識が朦朧とする。
眠気と戦いながら、PCの画面とにらめっこする。会議中も、睡魔との戦いだった。
だけど、俺の場合は食べなくても問答無用で眠くなるタイプだった。
むしろ、昼食を抜いて、短時間でも昼寝したほうが効果があることに気づいていた。しかし、当時の会社の雰囲気では、昼寝をするという選択肢はなかった。周囲の目を気にしながら、眠気を必死に堪える。
コーヒーを飲んだり、ガムを噛んだり、あらゆる手を尽くしたが、睡魔はなかなか手ごわかった。
なぜ、人間は昼食後に眠くなるようにできているのだろうか。このシステムは、何かがおかしい。
17:00:終了 – 終わらない「懲役」
定時。仕事を終え、PCをシャットダウンする。この瞬間は、一日の終わりを告げる、小さな解放感があった。
昔から思うけど、8時間労働ってくそ長くない?とは思う。
特に、精神的な疲労が大きい事務作業においては、その長さは拷問に等しい。俺の場合、特例子会社だったから、体力的なしんどさはそこまでない。最初は新しいことばかりで刺激的だったが、次第に同じ作業の繰り返しが多くなり、ルーティン化されていった。
すると、最初は楽であっても、徐々につまらない時間の精神的なきつさのほうが大きくなっていった。
Youtuberという創造的な活動を夢見る俺にとって、型にはまった単調な作業は、まさに精神的な苦痛だった。
18:30:帰宅 – 人生の半分を仕事に捧げる矛盾
会社を出て、再び満員電車に乗り込む。帰りの電車は、朝とは逆方向なので少しはマシだが、それでも混雑していることに変わりはない。
毎日、この時間ぐらいに帰ってくる。少し遅いと感じていた。
ちなみに、障害者雇用はほとんどの場合、残業がない。
これは、残業までの体力がなく、またこれに伴う配慮が必要だからという名目がある。
しかし、俺は内心、これは合理的な理由だと思っていた。というか、そもそも残業が当たり前なのおかしいからな…と、強く感じていた。
所定労働時間は7時間30分だが、実際は通勤時間と昼食も含めて11時間程度を会社に拘束されている。
これどう見てもおかしい話ではないか。朝から晩まで、人生の半分近くを仕事に割り当てている。
俺の人生は、何のためにあるのだろうか。Youtuberとして、もっと自由に生きたいという思いは、この時、さらに強くなっていった。
夕食前に、とりあえずこのときはゲームを遊んだり、あとは夏場だとシャワーを浴びて汗を流すこともあった。
一日の疲れをリフレッシュし、夜の短い自由時間を最大限に活用しようと努めた。
19:30:夕食 – 驚異の食欲
夕食はいつもこの時間。親が用意してくれた温かい食事を、俺はガツガツとかきこむ。
社会人になってからも、俺の食欲は相変わらず旺盛だった。
というのも、一日の通勤で歩くだけで11km以上にもなるため、かなりのエネルギーを消費していたのだ。そのため、かなり食べる。
今となれば、成人男性としては標準的な1.5人前~2人前(まれに山道とかで動きが激しい場合は3人前近く)に落ち着いているが、社会人初期時代は、高校時代の部活動で培った体力と、成長期の旺盛な食欲が強く残っていたため、普通に2~4人分を食べていた。
食卓に並ぶ料理が、あっという間に俺の胃袋に消えていくため、夕食にかかる時間も長かった。親も呆れるほどの食欲だった。
23:00:就寝 – 深夜配信を阻む習慣
夕食を終えると、残りの時間は自分の部屋で、ゲームをしたり、ネットサーフィンをしたり、時にはYoutuberの動画制作のアイデアを練ったりする。しかし、時間は限られていた。
高校時代から早起きすることが習慣化していたため、基本的に23時には就寝していた。
これは今もそうで、もはや俺のデフォとなっている。そのため、多くのYoutuberが活動しているような深夜配信などは、体力的に無理だった。この習慣は、Youtuberとしての活動範囲を制限する一因でもあったが、健康を維持するためには、どうしても譲れない部分だった。
こうして、俺の社会人初期の1日は、まるで歯車のようだった。
決められた時間に起き、決められた場所へ行き、決められた仕事をこなす。そして、わずかな自由時間の中で、夢を追い求める。しかし、その夢は、目の前の現実との間で、常に葛藤を強いられていた。
この「懲役47年」という長いトンネルの中で、俺は一体何を学び、何を見つけることになるのだろうか。
コメント