高性能なPCを手に入れ、Youtuberへの夢に胸を膨らませていた俺だが、社会人としての現実は、そんな俺の熱意を冷やしていくかのようだった。
入社して1年目は、新しい環境や業務を覚えることに必死で、目の前のことをこなすのに精一杯だった。
しかし、それから時が経ち、2年目を迎える頃には、その状況は一変する。これまでなんとなくの気持ちで仕事をこなしてきたが、ある日を境に、「今の仕事を辞めたい」という気持ちが、初めて心の底から心の底から湧き上がってきたのだ。
それは、まるで体の奥底から湧き上がる不快感のように、俺の精神を蝕み始めた。俺が初めて仕事に苦痛を感じ始めたのは、入社して2年目の夏、つまり2018年のことだった。
失われた夏休み、そして社会への疑問
なぜ、この時期から仕事が苦痛になり始めてきたのか。その理由の一つは、まず、学校時代に当たり前のようにあった夏休みが、社会人になってから全くないことだった。
高校時代は、夏といえば約40日間の長期休暇があり、部活動に打ち込んだり、友人と旅行に行ったり、あるいはYoutuberになるための構想を練ったりと、充実した時間を過ごすことができた。
それは、日々の学習や部活動の疲れを癒し、新たな活力を養うための、かけがえのない「バカンス」だった。
青い空の下、汗を流しながらも、心はどこまでも自由だった。
1年目の夏は、まだ社会人になったばかりで、研修の意味合いも強く、とにかく仕事を覚えることに必死だったため、夏休みがないことにも我慢ができた。
社会人とはそういうものだと、自分に言い聞かせ、目の前の業務に集中することで、心の隙間を埋めていた。
しかし、仕事にも慣れてきた2年目になると、その我慢が限界に達し、夏休みがないことが苦痛に感じ始めてきたのだ。SNSを開けば、友人たちが、海外旅行を楽しんだり、イベントに参加したりと、夏休みを満喫している様子が次々と目に飛び込んでくる。
彼らの輝かしい夏と、冷房の効いたオフィスでPCと向き合う自分の姿を比較するたびに、俺の心には、どうしようもない虚無感が広がった。
まるで、自分だけが時間の流れから取り残されているような感覚だった。
なぜ、学校ではあんなに長いバカンスが与えられるのに、会社ではそれが「常識がない」かのように扱われ、たった数日の有給休暇を取ることすら、周囲の目を気にしなければならないのか、という疑念が頭をもたげ始めた。
当時は、夏休みがないのは社会人として「当たり前だろう」という感じで漠然と思っていたが、いざその状況に身を置くとなぜ1年中、仕事をし続けるのが意味が分からなくなってきたのである。
人間は休憩が必要だ。常に働き続けるなんて、まるで歯車の一つのようだ。
この社会のシステムは、一体何のために存在しているのか?
それは、理不尽なルールを押し付けられているかのような、閉塞感だった。自由を求める俺の心が、会社の枠組みに囚われていることに耐えられなくなっていた。
苦痛の始まり(2):猛暑が襲う職場、クールビズの限界
二つ目の理由は、暑すぎたことだ。2018年の夏といえば、記録的な猛暑が日本列島を襲った時期として記憶されている。
特に埼玉県熊谷市では、国内観測史上最高気温となる41.1度を記録するなど、まさに「非常に暑い」季節だった。テレビやニュースでは、連日熱中症の注意喚起が報じられ、命の危険さえ感じるような、過酷な夏だった。外に出れば、アスファルトの照り返しで体が焼けるようだった。
俺が働いている会社も、冷房は効いているものの、その猛暑の影響を全く受けないわけではなかった。
通勤時の満員電車は、いつも以上に蒸し暑く、会社に着く頃には汗だくになっていた。スーツの生地が肌に張り付き、不快感でしかなかった。また、会社の社屋自体も、古い建物が多く、場所によっては冷房が効きにくいエリアもあった。
特に窓際や、奥まった部署では、扇風機を回しても熱気がこもるような状態だった。毎年、うちの会社は例年なら10月まではクールビズを実施していたが、あまりの暑さから、この年だけは11月まで続いたほどだ。
それでも、スーツに身を包んで仕事をするのは、想像以上に体力を消耗した。頭は常にボーっとしていて、思考力が低下し、集中力が続かない。物理的な暑さが、精神的な疲労に拍車をかけた。体調を崩す社員も少なくなく、社内全体がどこか疲弊した雰囲気に包まれていた。
まるで、会社全体が熱中症になっているかのような、倦怠感が漂っていた。
美しさや快適さを求める心が、容赦なく奪われていくことに、不満が募った。
苦痛の始まり(3):賢くなるほど苦しくなる会社の構造
そして三つ目の理由は、非常に複雑で、かつ根深いものだった。それは、「知識が増えて賢くなればなるほど、会社勤務はきつくなる」という、ある種の真理を俺が肌で感じ始めたことだった。
俺は当時、高校を卒業したばかりで、社会経験も浅く、正直言って頭が悪い時期だった。社会の仕組みも、ビジネスの常識も、何もかもが手探りだった。入社当初は、何もかもが新しく、教えられたことをひたすらこなすことに精一杯だった。だから、当時の俺にとってはそれでよかったのかもしれない。指示されたことを忠実にこなし、少しずつできることが増えていくことに、小さな喜びを感じていた。まるで、新しいゲームの操作を覚えるかのように、一つ一つクリアしていく感覚だった。
しかし、人間は経験を積むにつれて、価値観が絶対に変わる。
多くの知識を吸収し、物事を多角的に見れるようになる。
俺もまた、入社して2年目を迎え、少しずつ業務全体を俯瞰できるようになってきた。
すると、会社の非効率な点や、理不尽な慣習、あるいは個人の成長を阻害するようなシステムが、明確に見えてくるようになったのだ。会議の無駄、承認プロセスの遅さ、そして意味不明なルール。
「もっと良いやり方があるはずなのに、なぜ改善されないのか」「なぜ、古いやり方に固執するのか」――そんな疑問が頭の中を駆け巡り、どうしようもない焦燥感に駆られた。
まるで、性能の低いPCを使わされているような、もどかしさがあった。
周りの社員は、皆、それに従っている。彼らは、俺が抱くような疑問を持たないのだろうか?それとも、見て見ぬふりをしているだけなのだろうか?
彼らは、この会社での生活に居心地が良い感じで溶け込んでいるように見えた。会社の方針に疑問を抱かず、与えられた仕事を黙々とこなす。
まるで、思考停止したロボットのように。彼らはきっと、この「安定」した環境に満足していたのだろう。波風を立てず、現状維持を望む彼らと、変化を求める俺との間には、大きな溝ができていた。
そんな中で、俺だけが異なる価値観を持ち、不満を抱えているのは、もはや村八分の存在だったのかもしれない。
自分だけが、まるで異物のように、この組織に馴染めない感覚が強くなっていった。孤立感が、徐々に俺の心を覆い始めた。
特に、俺が就職した特例子会社は、その構造上、この傾向が顕著だった。
特例子会社は、障害を持つ社員を雇用する目的で設立されているため、個々の能力や特性に合わせた配慮がなされる。それは素晴らしいことだ。
しかし、その一方で、「下に合わせる」という側面も強く持ち合わせている。
つまり、組織全体の生産性を高めるために、能力の低い社員に合わせ、業務を平準化する傾向があるのだ。誰もが同じペースで、同じレベルの仕事をこなすことを求められる。
このため、構造上、能力や意欲の低い、あるいは「下にアンダークラスレベルにいればいるほど心地よく、精神的な負担も少ない。
彼らは、与えられた仕事をこなすことで、安心感を得られる。会社に守られているという感覚があるのだろう。
しかし、一方で、能力が高く、成長意欲のある、いわば「天下の空にいるクラス」の社員にとっては、その環境はまさに地獄化していく。
自分の能力を最大限に発揮できない。新しいことに挑戦しようにも、組織全体の足並みが揃わない
。どんなに素晴らしいアイデアを提案しても、前例がないという理由で却下されたり、実現までに膨大な時間がかかったりする。停滞感、閉塞感。そうしたものが、彼らの成長意欲を削ぎ落とし、才能の芽を摘んでいく。
だから、エリート系の人材にとっては、特例子会社は最悪の場所でもあったりする。
高い能力と意欲を持つ彼らは、より速いスピードで成長できる環境を求める。
しかし、特例子会社では、そのスピードを出すことが難しい。まるで、能力の低い車に合わせて、高性能な車がゆっくり走らなければならないようなものだ。
また、俺のように「独立したい欲」や「クリエイターをやりたい」という強い思いを持つ人にとっても、特例子会社との就職は最悪の選択肢と思ってもいいだろう。
創造性や個性を発揮する場が限られ、ルーティンワークに埋没する日々は、彼らにとって精神的な苦痛以外の何物でもない。自己実現の欲求が満たされず、窒息しそうになる。俺もまた、まさにその中にいたのだ。
苦痛の始まり(4):絶望的な給料と、安定への疑問
そして、最も決定的な理由、それは何よりも給料がしょぼすぎることだった。
月々の給料明細を見るたびに、俺の心は冷え込んだ。一生懸命働いているのに、これっぽっちしかもらえないのか。
今後行う一人暮らしを考えると生活はギリギリ…今となれば不可能といえるレベルだ。
この金額で、俺は本当に生活していけるのだろうか。そして、Youtuberとして成功するための資金を貯められるのだろうか。不安が胸を締め付けた。それは、まるで未来が見えないかのような、絶望的な感覚だった。
こんなことばかりしていると、世間で言われる「静かな退職」を起こしてもおかしくないだろうと、俺は当時から感じていた。
与えられた最低限の仕事をこなし、感情を表に出さず、ただ時間を過ごす。
心はすでに会社から離れており、精神的なエネルギーは最低限しか注がれない。自分の存在意義を見失い、ただ会社にぶら下がっているだけのような状態だ。
実際に、ほとんどの社員は思考停止のままで働いているように見えた。彼らは、ここにいるだけでなんとなく安心感が得られている。安定した場所がある、という漠然とした感覚に浸っているのだ。
まるで、大きな揺りかごの中で眠っているかのように。
しかし、俺は違った。俺は安定というものが、まず合わない……かもしれない。いや、はっきりと違う。俺の心の奥底には、常に「冒険へ行ってとにかく稼ぎまくり、楽しく仕事をしたい」という強烈な欲求があったのだ。
Youtuberという夢は、まさにその欲求の象徴だった。
自分の力で新しいものを生み出し、人々に価値を提供し、その対価として稼ぐ。それが、俺の理想だった。
会社という安定した「檻」の中に閉じ込められ、自分の夢を諦めること。
それは、俺にとって耐えがたいことだった。安定した給料と引き換えに、自分の時間と情熱、そして未来を捧げる。その取引が、あまりにも割に合わないと感じ始めていた。
そこが、俺が会社を退職につながるのちの道だったのかもしれないなと、今振り返れば強く思う。
あの夏、俺の心に芽生えた「辞めたい」という小さな感情は、やがて、会社を辞めるという大きな決断へと繋がっていく、最初の一歩だったのだ。それは、長いトンネルの中で、かすかな光を求めるような、そんな始まりだった。
俺はまだ、このトンネルがどれほど長く、暗いものなのかを知らなかった。
しかし、この苦痛が、俺を次のステージへと駆り立てる、強力な原動力となっていくことだけは、確かだったのだ。
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