「会社を辞めたい」という感情が芽生え始めた2年目の夏。猛暑と、終わりの見えない日々の仕事に心身を蝕まれながらも、俺は希望を捨てていなかった。
そんな俺の心に、一筋の光が差し込む出来事があった。
夏休みに入る少し前、政府が「働き方改革」を実施したのだ。
働き方改革:残業規制、有給義務化、そして「朗報」の副業解禁
働き方改革の柱として、残業時間の規制、有給休暇の取得義務化が盛り込まれた。これらのニュースは、世間一般の会社員にとっては、まさに待ち望んでいた**「朗報」**だっただろう。過労死やブラック企業が社会問題となる中で、労働環境の改善は喫緊の課題だったからだ。長時間労働に苦しむ多くの人々が、これで少しは報われると胸をなでおろしたに違いない。
しかし、俺にとって、これらの改革の中で最も心躍る、真の**「朗報」だったのは、「副業解禁」という項目だった。なぜ、残業規制や有給休暇の義務化よりも、副業解禁が俺にとっての朗報だったのか?それは、俺の心の奥底に燃え続けるYoutubeでお金を稼ぎたいという夢**が、まだしっかりと存在していたからに他ならない。
副業禁止の壁:時代遅れの特例子会社
当時、Youtubeでお金を稼ぐことは、まだまだ新しい働き方だった。社会的な認知度も低く、企業によっては「個人の活動」として容認されていても、副業として収入を得ることは禁止している会社がほとんどだった。
これは、企業秘密の漏洩や、本業への集中力の低下などを懸念してのことだろう。
そして、残念ながら、俺が勤めていた会社も例外ではなかった。社則には明確に副業禁止と明記されており、もし発覚すれば懲戒処分の対象となる可能性もあった。
いくら政府が副業を解禁すると発表しても、会社が許可しなければ、それは絵に描いた餅に過ぎない。この事実は、俺の夢への道を阻む、厚い壁のように感じられた。
さらに、驚くべきことに、2025年になった現在でも、副業を解禁している特例子会社はほぼないらしい。
これは、ますます時代遅れ感いや就職先の選択肢としてありえないだろというほど感じさせるものだった。
特例子会社は、障害者雇用で障碍者のつめあわせという特殊な性質上、保守的な経営体質を持つ傾向があるのかもしれない。
変化を嫌い、現状維持を是とする。
しかし、世の中は常に変化し続けている。
それを副業を認めないということは、社員の多様な働き方や、スキルアップの機会を奪っていることに他ならない。
俺からアドバイスを言わせてもらえれば、「副業を禁止しているくせに、最低クラスの賃金しか出さない特例子会社は、やめとけ」だ。
これは、俺の長く働いた個人的な経験に基づく意見だけでなく、一般的な企業や障害者雇用も考慮した上での、総合的な結果としての結論だ。
社員に低い賃金しか与えない上に、副業で稼ぐ機会まで奪うというのは、あまりにも理不尽で実際に憲法違反に該当するからだ。
その理由は憲法22条1項に「職業選択の自由」というのに定めているためだ。
さらに社員の生活を保障する気がないにも関わらず、その自由まで奪うのは、まさに搾取としか言いようがない。
特に大手企業の特例子会社は騒がれている親会社の経営陣が今では将来性はないともいえる。
フリーランスへの渇望と、知識の欠如
政府の副業解禁のニュースは、俺の心の中に、「これからの時代、フリーランスになる」**という漠然とした思いを抱かせた。会社に縛られず、自分の力で稼ぎ、自分の時間を自由に使う。
それは、Youtuberという夢の延長線上にある、最も理想的な働き方だった。この時から、俺は将来的に会社を辞め、独立する道を本格的に模索し始めたのだ。それは、社会のレールから外れることを意味する。
しかし、当時の俺は、「稼ぐ」ということに関して、あまりにも無知だった。
簿記会計という言葉すら知らず、会社がどうやって利益を出しているのか、個人がどうすれば収入を得られるのか、具体的な方法が全く分からなかった。Youtuberとして動画を投稿することはできるが、それをどうやって収益化するのか、確定申告はどうすればいいのか、税金はどうなるのか――。
知識がなければ、どんなに素晴らしいアイデアも、絵に描いた餅に過ぎない。
夢を追う情熱だけでは、現実は変えられないと、薄々感じ始めていたのだ。
政治への不信と、社会への疑問
また同時に、この働き方改革のニュースは、俺が政治に対しても目を向けたタイミングでもあった。
というのも、前回の話のとおり、俺の賃金はとにかくしょぼい。
社会人になって初めてもらった給料明細を見た時、愕然とした。額面も低い上に、そこから税金や社会保険料が引かれ、手取りはさらに少ない。これで生活し、さらに夢を追う資金を貯めるなど、あまりにも無謀だと感じた。
昔は、日本の経済は右肩上がりで、頑張れば頑張るほど給料も上がっていくのが当たり前だった。
しかし、俺が社会人になった頃は、経済は停滞し、給料は横ばいで、むしろ物価は上昇し、実質的な手取りは減っていく感覚だった。これは一体どういうことなのか?なぜ、こんなにも頑張っているのに、生活は一向に楽にならないのか?
「政治って、本当は人々の暮らしをよくするのが役割なんじゃ?」
当時の俺には、そう思っていたのに、なぜこんな目に遭わされているのか、理解できなかった。
政治家たちは、一体何をしているのか。国民の生活を顧みず、自分たちの利益ばかりを追求しているのではないか。そんな思いから、その当時から政党に対して疑わしい感じへとなっていた。
特定の政党を支持する気にはなれず、どの政党も信用できないという不信感が募っていった。
しかし、この政治への不信は、のちに俺の人生において、非常に重要な意味を持つことになる。
というのも、その政治自体は、のちにメタバースにも直結する話なので、今後の物語にもよく出てくると思ったほうが良い。
社会の構造、経済の仕組み、そしてそれらを動かす政治の力。これらを深く理解することは、俺が創造しようとするメタバースの世界を構築する上で、不可欠な要素となっていくからだ。
働き方改革という政府の発表は、俺の心に希望と同時に、社会への不信感を募らせるきっかけとなった。
副業解禁という一条の光は、俺の夢への道を照らしてくれたが、同時に、既存の社会システムや政治への疑問を深めることにも繋がったのだ。それは、俺が歩むべき道が、決して平坦ではないことを示唆していた。しかし、この疑問こそが、俺を次のステージへと駆り立てる、強力な原動力となっていく。
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