2015年、高校2年生になった俺は、魔法少女アニメとの出会いをきっかけに、それまで閉ざされていたエンターテイメントの世界に足を踏み入れた。
それまで俺の人生を彩っていたのは、鉄道という緻密なシステムと、それを追いかける男子版の純粋な情熱だけだった。
まるで、モノクロだった世界に、鮮やかな色彩が加わったような感覚だ。
だが、この時期、俺の人生にさらなる大きな転換点をもたらすことになる、もう一つの存在が、インターネットの向こう側から現れる。それが、当時まだ世間一般に広く知られていなかったYoutuberという存在だ。
まだ見ぬ世界への憧れ:Youtuberとの出会いと、価値観の劇的変化
2014年という年は、今のように誰もがスマートフォンを持ち、動画配信サービスが当たり前になっている時代とは大きく異なっていた。Youtuberという言葉自体は存在していたものの、その認知度は今ほど高くなく、一部のネットユーザーや若者たちが知る、まさに黎明期だったと言えるだろう。テレビで彼らが取り上げられることも滅多になく、まだどこか「怪しい」「よくわからない」というレッテルを貼られていた時代だ。そんなインターネットの未開の海で、俺は偶然にも彼らと出会うことになる。それは、まるで砂漠でオアシスを見つけたかのような、強烈な体験だった。
当時、俺が魅了されたのは、主に二人のYoutuberだ。一人は、某サングラスのYoutuberさん。彼らの動画は、斬新な企画、軽快なトーク、そして何よりも画面から溢れ出る「楽しさ」に満ちていた。
まるで、自分たちの日常をそのまま切り取ったかのような自然体でありながら、見る者を惹きつけてやまない魅力があった。彼らが友達とふざけ合ったり、時には体を張って挑戦したりする姿は、当時の俺にとって、まるで手の届かない憧れの存在だった。
彼らの動画を見ていると、現実の鬱屈した気分が吹き飛び、まるで自分も彼らと一緒に、その「楽しい世界」に参加しているような気分になった。
学校での人間関係や、勉強への劣等感、将来への漠然とした不安。そういったものが、彼らの動画を見ている間だけは、一時的に忘れ去ることができた。彼らの動画は、俺にとっての逃避場所であり、同時に新しい可能性を提示してくれる羅針盤でもあった。
もう一人は、某ゆっくり実況のYoutuberさん。キャラクターが可愛らしい声でゲーム実況をするスタイルは、視覚と聴覚の両方から俺の心を掴んだ。彼らの実況は、単にゲームをプレイするだけでなく、巧みな編集と独特の語り口で、ゲームの世界観をさらに深く、面白く伝えてくれた。
彼らの動画を見ていると、まるで自分がその場にいるかのような臨場感を覚え、何よりも「楽しそう」という感情がダイレクトに伝わってきたのだ。
彼らは、俺が抱いていた「ゲーム実況は単なるプレイ映像の垂れ流し」という偏見を打ち破り、そこに物語性やエンターテイメント性を付加できることを教えてくれた。動画の構成、BGMの選び方、テロップの入れ方一つにしても、彼らのセンスが光っていた。
「こんなに自由で、こんなに楽しそうで、しかもそれを仕事にできるなんて…」
動画を見るたびに、俺の心は高揚し、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。
それは、これまでの俺が知っていた「仕事」という概念を根底から覆すものだった。それまでの俺は、学校の勉強を真面目にこなし、将来は安定した企業に就職することしか考えていなかった。
それが「普通」で、それが「正しい」のだと信じて疑わなかった。だが、Youtuberという存在を知った時、俺の視野は一気に広がり、固定観念がガラガラと崩れ落ちる音を聞いた気がした。まるで、これまで見えていた世界が、突然、3Dになったような感覚だった。
俺の人生は、このYoutuberとの出会いによって、根本から揺さぶられた。今まで「当たり前」だと思っていた社会のレールや、成功の定義が、まるで砂上の楼閣のように脆く崩れていくのを感じた。そして、その崩れた場所に、新しい価値観が芽生え始めたのだ。それは、単に「お金を稼ぐ」という目的だけでなく、「自分の好きなことを通して誰かに価値を提供する」という、より高次の目標だった。
「よし!将来の夢はYoutuberになろう!」
この時、俺は本気でそう決心していた。
就職という道よりも、Youtuberとして自分の「好き」を追求し、それを誰かに届けることに、計り知れない魅力を感じたのだ。
この段階ではまだ、俺の中に今で言う「女子版」という明確な人格は確立されていなかった。しかし、Youtuberという活動の中に、創造性や表現の自由、そして人を楽しませたいという欲求を見出したのは、まさに後に「女子版」として開花する感性の萌芽だったと言えるだろう。
それは、幼い頃からイラストを描いていた俺の根源的な欲求が、Youtuberという形で具現化される可能性を示唆しているようだった。
新たな価値観の創造:もう一人の自分を増やすという選択
しかし、この新しい夢を追いかける上で、俺は大きな壁にぶつかった。それは、これまでの俺の価値観と、Youtuberとして活動したいという新しい欲求との間の根本的な乖離だ。
当時の俺は、依然として「男子版」の持つだらしなさとめんどくさがり屋な性質が強く、加えて、周りに同調し「真面目にやる」という固定観念に縛られていた。
頭も良いわけではなく、友人からも「バカじゃん」と言われるほど、学業にも自信がなかった。正直、新しいことに積極的に挑戦し、継続的に努力するということが、今の俺には極めて困難だった。
「どうすれば、この自分を変えられるだろう?」
普通の人ならば、自分の性格を変えようと努力したり、習慣を改善しようと試みたりするだろう。
しかし、俺が選んだ方法は、常人には理解しがたい、そしておそらく「変人」としか言いようのないものだった。
「そうだ、もう一人の自分を増やせばいいんだ。」
この発想は、当時の俺の「男子版」の持つ、ある種の極端な合理性から生まれたものだったのかもしれない。
自分自身を根本から書き換えるのは難しい。
まるで、既に構築され、成熟してしまったOSやドライバーをゼロから書き直すようなものだ。
それは、互換性の問題や、システム全体が崩壊するリスクを伴う。
ならば、既存のシステムはそのままに、新たな機能を持つ「CPUコア」をもう一つ追加するようなイメージで、俺の脳内に新たな価値観を生み出そうと考えたのだ。
それも、既存のCPUとは別のメーカー、別のシリーズの商品のように、全く異なる性質を持つものとして。
この時、俺が求めていたのは、創造性、積極性、そして感情豊かな感性だった。
まさに、後の「女子版」の特徴となる要素だ。
当時の俺は、Youtuberとして成功するためには、これらの性質が不可欠だと直感的に理解していたのだろう。
だからこそ、自分の内部に、それらを司る新たな価値観を「作り出す」という、普通ではありえない選択をしたのだ。
この奇妙なアプローチが、後に俺の中に「女子版」という明確な人格を形成する、決定的な布石となった。
限られた環境と、親の反対、そして日本社会の「変化への恐怖」
Youtuberになるという夢を抱いたものの、当時の俺の環境は決して恵まれているわけではなかった。
「なぁ、お前さ、将来Youtuberになりたいんだろ?そんなので飯食えるわけないって。もっと現実見ろよ。」
友人から、そんなストレートな言葉を投げかけられたこともある。彼の言葉には悪気はなかっただろうが、当時の俺にはそれがナイフのように突き刺さった。
当時の俺は、「今のような頭がいいわけじゃなく、むしろバカといえるレベル」だった。国語は相変わらず苦手で、数学や社会も底辺レベル。学業では常に劣等感を抱いていて、友人から「バカじゃん」と言われるほど、自分の学力には自信がなかった。
正直、自分でも「変人だな」ということは認識していた。周りの生徒が将来の進路について現実的な選択肢を考えている中、俺は夢物語のようなYoutuberになることを本気で目指していたのだから、そう言われても仕方がないとすら思っていた。
学校の先生からも「お前には無理だ」とは言われなかったが、どこか諦めたような、あるいは憐れむような視線を向けられているのを感じていた。
周囲の大人たちは、俺が思い描く「Youtuber」という道を、単なる子供の遊びや、現実から目を背けた夢だとしか捉えていなかった。
家には、親に買ってもらったゲーミングPCがあった。それは、ゲームをするには十分な性能だったが、大物Youtuberが使っているような、何十万円もするハイスペックな機材ではなかった。
高価なキャプチャーボードや高性能なマイク、プロ向けの編集ソフトなどを本格的に揃えることはできなかったため、彼らのような本格的な動画制作は難しいという現実があった。
動画を編集するための知識もなければ、撮影機材も不十分。まさに、ないないづくしからのスタートだった。俺の部屋は、簡易的な撮影スタジオはおろか、まともに片付いていることすら稀だった。
「どうすれば、俺でもYoutuberになれるんだろう…?」
限られた環境の中で、俺は必死に考えた。技術的な問題、資金的な問題、そして何よりも大きな壁として立ちはだかったのが、親の反対だった。親は俺がYoutuberになるという夢に、当然のように猛反対した。
「そんな不安定な仕事、認められない」と。彼らの根底には、俺のプライバシーが世間に晒されることへの、根深い恐怖があったのだろう。インターネットの世界は、良くも悪くも開かれた場所だ。
一度動画をアップロードすれば、誰でもそれを見ることができる。匿名性が保証されているとはいえ、動画の内容や俺自身の情報がどこかで特定され、悪用されるのではないかという不安が、親にはあったのだ。
個人情報が流出し、誹謗中傷の対象となったり、犯罪に巻き込まれたりする可能性を、彼らは真剣に危惧していた。彼らにとって、インターネットはまだ「危険な場所」という認識が強かったのだ。
そして、その反対には、当時の日本の社会全体に根強く残る保守的な価値観も影響していたと、今なら理解できる。
日本人は、一般的に変化を嫌う傾向がある。特に、当時Youtuberという新しい職業は、社会の一般的な認識から大きく外れたものだった。多くの人が、安定した「レール」の上を進むことを是とし、そこから外れることには強い抵抗がある。
「みんなと同じ」であることが美徳とされ、「出る杭は打たれる」という風潮も少なからず存在していた。新しいことへの挑戦よりも、既存の枠組みの中で安全に生きることが推奨される。
俺の親も、そうした「緊縮思考的」な側面を持っていたのだろう。未知のもの、不安定なものに対する「変えられることへの恐怖」が、彼らの反対の根底にあったのだ。
俺の人生が、彼らの想定していた枠組みから外れてしまうことへの恐れ。それは、親として当然の感情だったのかもしれないが、当時の俺にとっては、夢を阻む大きな壁として立ちはだかった。
彼らは、Youtuberという選択肢が、俺を危険な道へと導くと信じて疑わなかったのだ。
彼らの反対は、単なる口出しではなく、俺の将来を本気で心配しているからこその、重い言葉だった。その重さに、俺は何度も押しつぶされそうになった。
だが、俺は諦めなかった。親に真っ向から反抗するのではなく、彼らが納得するような「別の形」で夢を追いかける方法はないか、と模索した。
その時、頭に浮かんだのが、以前魅了された**「ゆっくり実況」**というスタイルだった。これなら、自分の顔を出さずにキャラクターが話す形式だから、顔出しも不要だし、自分の声も入れなくて済む。そうすれば、親にバレにくいし、プライバシーの問題もクリアできるかもしれない。
それに、高性能な機材がなくても、工夫次第で面白い動画が作れるかもしれないという希望もあった。映像編集ソフトはフリーソフトを使えばいいし、キャラクターの素材も自分で描けばいい。幼い頃から続けていたイラストを描く趣味が、ここで活かせると思ったのだ。
「まずは、ゆっくり実況で始めてみよう。そして、将来的に一人暮らしをして、完全に自立する。親にも心配をかけず、自分の力で生きていく。それが最終目標だ。」
俺は心の中で、そう決意した。この夢は、単なるYoutuberになりたいという願望だけでなく、自分自身の力で人生を切り開いていきたいという、漠然とした自立への欲求と結びついていたのだ。社会のレールに乗るのではなく、自分だけの道を進みたい。
それは、それまでどこか劣等感を抱いていた俺が、自分自身の価値を見出すための、切実な願いでもあった。この決意は、俺の人生において、初めて自分で自分の進むべき道を明確に定めた瞬間だったと言えるだろう。
未来への布石:Youtuber、VTuber、そしてメタバース創造の原点
このYoutuberという存在との出会い、そしてその夢を追いかけると決めたことが、後に俺の人生を大きく変えることになるVTuberやメタバースを創る始まりのきっかけとなった。
当時、ゆっくり実況を選んだのは、親への配慮と、機材の限界という現実的な理由からだった。しかし、この「キャラクターを使って表現する」という経験が、後にVTuberという概念にスムーズに繋がっていくことになる。自分の顔や声を出さずに、アバターを通して表現する。
それは、まさに当時の俺が求めていた表現方法だったのだ。バーチャルな存在として、現実の制約から解放され、より自由に、そして匿名性を保ちながら活動できる。
このアイデアは、俺が親の反対という壁に直面した時に、無意識のうちに求めていた解決策そのものだった。そして、Youtuberとして「自分の好きなものを表現し、それを誰かに届ける」という経験は、『TITAN学園』というメタバースを創造する上での、根源的なモチベーションとなった。
俺が目指すメタバースは、単なる仮想空間ではない。そこは、俺自身がYoutuberとして表現したかった「楽しさ」や、アニメで心を揺さぶられた「物語」を、誰もが体験できる場所にするという野望がある。
俺は、鉄道というシステム的な美しさを愛する「男子版」、合理的で効率的な思考を持つ「ハイエンド」、そして感情豊かで創造的な「女子版」。
この三つの価値観が複雑に絡み合い、互いに影響し合いながら、俺という人間を形成している。Youtuberという夢は、俺の中に新たな価値観を「作り出す」という、奇妙なアプローチを通して、俺の創造性を爆発させるきっかけとなった。男子版は、趣味として培ってきたPCスキルや情報収集能力で動画制作の基盤を支え、時には鉄道ゲームの実況など、自身の得意分野でコンテンツの幅を広げた。
彼が持つ飽くなき探求心は、動画のクオリティを高めるための新しい技術や知識を貪欲に吸収することに繋がった。
ハイエンドは、将来の自立という目標を明確にし、そのための計画性と節約意識を俺に与えた。「無駄な投資はするな」「まずはできることから始めろ」「この活動で本当に自立できるのか?」と、常に現実的な視点で俺を支え、無謀な行動に走ろうとする俺を諫めた。
俺は夢を追いかける中で、現実的な破綻を迎えていた可能性もある。
この高校2年生の春に芽生えたYoutuberへの憧れは、決して一過性の夢では終わらなかった。
それは、俺の人生の羅針盤を、クリエイティブな方向へと大きく振り向けた、もう一つの重要な転換点だったのだ。まだ具体的に何を作るのか、どうやって作るのかは分からなかったけれど、俺の心の中には、確かに未来への光が灯っていた。
それは、Youtuberとして、そして将来のメタバースクリエイターとしての俺を形作る、揺るぎない原動力となったのだ。
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