2020年2月。その報せは、まるで静止していた空気の中に石を投げ込んだかのように、俺の日常に波紋を広げた。
ある某国から、正体不明の、しかし恐るべきウイルスが流出したというのだ。
当初は遠い国の出来事だと高を括っていたが、その感染力は想像を絶し、瞬く間に世界中へと波及した。
日本も例外ではなく、テレビやネットのニュースは連日、不安と混乱を煽る情報で溢れかえった。まるでSF映画のワンシーンが現実になったような、そんな非現実感が社会全体を覆っていた。
街から活気が失われ、人々はマスクで顔を覆い、互いの距離を測るようになった。
友人と気軽に飲みに行くことも、週末に賑やかなショッピングモールでぶらつくことも、当たり前だった日常の風景は、遠い記憶の彼方へと追いやられてしまった。
駅のホームは閑散とし、満員電車という言葉は死語になりつつあった。まるで世界全体が息を潜めているかのように、誰もが恐怖と不安を抱えながら、見えない敵と戦っていた。
そして、もちろん俺の仕事にも、その影響は容赦なく及んだ。社会全体が停止に向かう中、俺たちの会社だけが例外であるはずがなかった。
政府は「緊急事態宣言」を発令し、国民に外出自粛を強く求めた。
学校は休校となり、イベントは中止、飲食店の営業時間は短縮された。
あらゆる経済活動が停滞し、社会全体が大きな打撃を受けていた。俺が勤める会社は、在宅勤務という選択肢はなかった。
健常者に比べてハンディキャップを持つ社員が多い環境で、自宅での業務環境を整えることは現実的ではなかったのだ。しかし、この未曾有の事態に対し、会社も手をこまねいていたわけではない。
経営層は連日会議を重ね、苦渋の決断を下した。「間引き」という形で、一部の社員は「自宅待機」という方針が取られることになったのだ。
自宅待機。それは会社の命令であり、文字通り家で待機していれば給料が支払われるというものだった。
もちろん、通常の勤務に比べれば、基本給と最低賃金に基づいて計算された自宅待機手当しかもらえたため感覚的には2倍の給料水準に跳ね上がったようなものだった。
多くの社員は、手取りが減ることを嘆いたが、俺はむしろこの「時間」という名の贈り物に、漠然とした期待を抱いていた。だが、この自宅待機こそが、これまで凝り固まっていた俺の人生を、根底から変える引き金になるとは、この時の俺は知る由もなかった。
これまで、有給休暇は存在したものの、他の社員に比べて取得できる日数が極端に少なかったため、俺の毎日は仕事で埋め尽くされていた。
朝から晩まで、来る日も来る日も会社の業務に追われ、自分の時間などほとんど持てない生活。
休日も疲労困憊で、趣味に時間を費やすこともままならなかった。
平日は会社と家を往復するだけで一日が終わり、週末はひたすら睡眠をとって体力を回復させるだけ。そんな単調な日々が、何年も続いていたのだ。
しかし、ウイルスの蔓延と自宅待機が始まる以前から、俺の心の中には漠然とした疑問が渦巻いていた。仕事への「やりがい」が、少しずつ、しかし確実に薄れ始めていたのだ。毎日同じことの繰り返し。
与えられた業務をただこなすだけの日々に、本当にこのままでいいのか?
この会社で働き続けることが、俺の人生にとって最善の選択なのか? 時間の使い方が、果たして正しいのか? 俺の持っているスキルや知識は、本当にこの会社で最大限に活かされているのだろうか? そんな自問自答を繰り返す日々だった。
特例子会社という環境は、確かに俺のような人間にとっては安定した場所だった。
だが、同時に成長の機会が限られていることも感じていた。新しい技術を学ぶ機会も少なく、自分のアイデアを形にする自由もなかった。
まるで、水槽の中をぐるぐると泳ぎ回る金魚のように、見えない壁に阻まれて身動きが取れない状態だったのだ。そんな漠然とした不安と不満を抱えながらも、具体的な行動に移すことはできていなかった。
長年勤めてきた会社を辞める勇気もなければ、他に何ができるのかという自信もなかった。
現状維持の惰性の中に身を置くことが、最も楽な選択だと感じていたのかもしれない。
そんな俺にとって、突然訪れた自宅待機は、まさに「棚からぼた餅」だった。強制的に与えられた「時間」という名の贈り物。最初は戸惑いしかなく、どう過ごせばいいのか皆目見当もつかなかった。
テレビをぼーっと眺めたり、これまで積読になっていた本を手に取ったり、惰性で時間を潰すこともできた。
しかし、この自宅待機は数年にわたって結構長く続いていたため、その期間は前期、中期、後期と、俺自身の過ごし方も大きく変わっていった。
最初はただの「休み」として過ごしていた期間が、徐々に「自己と向き合う時間」へと変貌していく。
特に「後期」に突入してからの自宅待機は、後の俺の人生を大きく変えるきっかけとなる。
それはまるで、長年閉じ込められていた扉が、突如として開かれたかのような衝撃だった。
それまで見えていなかった、あるいは見て見ぬふりをしていた自分の本当の気持ちや、秘めていた野望が、目の前に広がるように感じられたのだ。しかし、その話はもう少し先。
次回は、自宅待機「前期」に、俺の身に何が起こったのかを語ろう。
あの時の混沌とした社会情勢の中、俺の意識がどのように変化していったのか。そして、その変化が、後に続く大きな転換点へとどう繋がっていったのかを。
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