ブラウニーに導かれるまま、にゃももは「生徒会室」と書かれた扉の前に立っていた。普通の学校なら厳粛な雰囲気の漂う入学式が、まさかこんな場所で行われるとは夢にも思わなかった。心臓がドクドクと音を立てる。扉の向こうにどんな「常識外れ」が待っているのだろうか。
ブラウニーは躊躇なく扉を開けた。
「お迎えに上がりましたー!」
ブラウニーの元気な声が室内に響き渡る。にゃももは、恐る恐るその中へ足を踏み入れた。そこは、想像していたような堅苦しい会議室とは全く違う空間だった。広々とした室内には、様々な最新機器が所狭しと並べられ、中央には大きなホログラムディスプレイが浮かび上がっている。まるでSF映画の司令室のようだ。そして、その中央に立つ人物を見て、にゃももは息を呑んだ。
「おう!来たか!やはり連れてきて正解だったな」
そこに立っていたのは、他ならぬ、今朝校門前で会った、あの男性だった。
「!?あなたはさっきの!?」
にゃももは思わず声を上げた。彼はにやりと口角を上げた。
「やあどうも!校門の前でパンを加えて走っていたピンク髪さん」
にゃももは、またしてもその言葉にカチンと来た。心の中で「んぬんぬんぬん!」と唸り声を上げそうになった、その時だった。男性の横に立っていた、メイド服のような黒いフリルエプロンをつけた女性が、鋭い視線で男性を睨みつけた。
「こら!失礼でしょう!ちゃんと名前を呼びなさいよ!」
パチン!と乾いた音が室内に響き渡る。女性は迷いなく男性の頬を叩いたのだ。
「いたたたたた…悪かったって、くろとぉ…」
男性は情けない声を上げた。くろと、と呼ばれるその女性は、冷たい視線を男性に向けたまま、にゃももに優しく微笑んだ。
「ブラウニーさんも、とりあえずいつも気にしなくていいですよ。さあ、こちらへ」
「はい…」
にゃももは、言われるがままに前に進んだ。目の前で繰り広げられた光景に、にゃももの頭の中は混乱でいっぱいだった。
(なにこれ…本当にこの場所が入学式なの?ただのふざけた面接にしか思えないんだけど…)
そんなにゃももの心中を知ってか知らずか、男性は気を取り直したように姿勢を正した。
「改めまして、この度はTITAN学園へのご入学、誠におめでとうございます。にゃももさん」
男性は深々と頭を下げた。にゃももは驚きで目を丸くする。あの横柄な態度とは打って変わって、まるで別人のようだ。
「わたくしはTITAN学園の校長を務めている「TITAN(タイタン)」と申します。どうぞよろしくお願いします」
タイタン。それが、彼の名前。そして、彼がこの学園の校長だと聞いて、にゃももは再び驚きに包まれた。
「今回は…」
タイタンが話を続けようとした、その時だった。扉が勢いよく開き、水色の影が飛び込んできた。
「すいもいるよー!」
元気いっぱいの声とともに現れたのは、先ほど校門前で会った、あのすいれんちゃんだった。
「うへええ!?なんでお前ここにいるんだ?」
タイタンは心底驚いたような声を上げた。
「いやぁーなんか今日、おもろい授業がなくてつまんないからこっち来ちゃった!」
すいれんちゃんは悪びれる様子もなく答えた。その言葉に、にゃももの思考は完全に停止する。
(いや、自由すぎるでしょ!?授業がつまらないから校長室に乱入って…!)
まさに「自由好き放題」という言葉がぴったりの光景だ。すいれんちゃんはにゃももを見つけると、ぱっと笑顔になった。
「よ!さっき会ったね!にゃももおねえちゃん、今日入学だったんだ!」
(お姉ちゃん!?ずいぶんなれなれしいな…)
にゃももは少し戸惑いつつも、笑顔で答えた。
「うん!そうだよ!すいれんちゃん」
タイタンは、そんな二人の様子を見て、少し目を見開いた。
「なんだ、もうすいれんと仲がいいのか。ならこの学園に馴染むのは結構急速だな」
タイタンは納得したように頷いた。そして、突然顔を覆い、肩を震わせ始めた。
「というか…俺はどうして『おじさん』なんだ…」
タイタンの目には、うっすらと涙が浮かんでいる。その姿に、くろとはやれやれといった風にため息をついた。
「いやそんなにへこまなくても…」
タイタンはすぐに気を取り直し、再び姿勢を正した。
「改めて、ご入学おめでとうございます」
彼の表情は真剣そのものだった。
「本日よりにゃもも殿は当学園、TITAN学園の生徒として正式に入学になります」
「期間は、契約解除をしない限りは無期として、生徒として所属させていただきます」
「以上を持って、入学式は終わりにいたします」
タイタンの言葉に、にゃももはまたしても呆然とした。
(え…!?もう終わり!?)
拍子抜けするほどあっけない入学式だった。てっきり、もっと長々と校長の話を聞かされたり、在校生代表の挨拶があったりすると思っていたのに。
「ここからはくろとに変わり、この学園についてオリエンテーションに移り変わります」
タイタンはそう言うと、くろとに視線を向けた。くろとはにこやかににゃももに向き直った。
「この度はご入学おめでとうございます。ここからわたくし、くろとがここの学園について説明いたします」
くろとの声は、先ほどのタイタンに対する厳しさとは打って変わって、落ち着いていて優しい。
「まず早速ですが…にゃもも様はどのようなきっかけでご入学いたしましたか?」
にゃももは、少し考えてから答えた。
「えーとですね…自分探しのためにここに来ました」
「そうですか…!ではこのTITAN学園の特徴をお伝えすると、ズバリ『自由好き放題』です」
くろとの言葉に、にゃももは小さく頷いた。確かに、ここまででそれは十分に伝わっている。
「さっきも見ていただいたけど、この学園の校長があまりにもやりたい放題すぎる性格なせいで、生徒たちも個性豊かなのが特徴だったりします」
くろとは、ちらりとタイタンの方を見た。タイタンは、ばつが悪そうに視線をそらしている。
「…な!?」
タイタンが抗議の声を上げようとした、その時だった。くろとはすかさず言葉を続けた。
「でもこの辺はご安心ください、もしTITANなどが暴走したとしても私が止めますので」
「さっきから俺が支配暴走を止めるための説明してないか?」
タイタンが不満げに呟いたが、くろとはにこやかににゃももに向き直ったままだ。
「あ…ああ、ありがとうございます」
にゃももは思わずそう答えた。
(なんか…とんでもないところへ入学してしまったなぁ…この先大丈夫だろうか…)
不安が募る。しかし、くろとはそんなにゃももの心配をよそに、本題へと入っていく。
「ここまでは前置きとして…ここから本題で、この学園は『自由』と『想像』、『創作』などが重要視するところであること。つまり、いろんな意味で自分で好きなように選択して選ぶという方針になっています」
くろとの言葉に、にゃももは真剣な表情で耳を傾けた。
「登校は自由登校、来てもよし来なくてよし!出席に響きません。皆勤賞などはなにそれという話です」
やはり、タイタンが言っていた通りだった。遅刻を気にして走る必要など、全くなかったのだ。
「そして授業ですが、さきほど見学してもらったようにこの学園には普通教室が存在しません」
再び、にゃももは驚きを覚える。しかし、それはブラウニーから聞いていたことなので、衝撃は薄い。
「その代わりとして、こちらのタブレットを差し上げます」
そう言って、くろとはにゃももに薄型のタブレット端末を手渡した。見た目は普通のタブレットだが、触れるとひんやりと手に馴染む、上質な質感だ。
「この世界はメタバースで構成されているものの、タブレットが存在する理由として挙げられるのは、持たないものから情報を取り入れていくことに違和感が強く感じるのを防ぐためです」
くろとは丁寧に説明する。
「実際には情報を脳に直接入れていくこともできるものの、多くの人間にとっては目や耳から情報を取り入れたほうがストレスが少なくできるからです」
なるほど、と納得する。確かに、いきなり脳に情報を流し込まれるのは、どんなに便利でも抵抗があるかもしれない。
「そしてこのタブレットが、今回の学習をするにあたりとても重要視となります。一応メタデータ上で保管できる方式なので、落としたりなくしたりする心配はございません」
これは便利だ。にゃももはタブレットをじっと見つめた。
「早速ですが、この学園の授業は自由選択方式です。1人1人の興味分野、得意不得意があることを想定しているため、カリキュラムがあまり想定していません」
自由選択方式。ということは、自分で好きな授業を選べるということだろうか。
「授業は個別のワンツーマンがあれば、一斉学習のように普通教室(※ただしこれは一時的な利用で、常設ではない)もあれば、コミュニティのように仲間同士で学ぶこともあれば、実際に仕事をするように実務学習など様々です」
「またタブレット方式なので、自宅からの学習もよし!学園に来て実際に学ぶのもよしです!」
くろとの説明は続く。この学園は、学び方も、学ぶ場所も、全てが自由なのだ。
「けど、一部の学習は実際に来ないと受けられない内容もあるため、完全在宅にはできないです」
「特に体育や理科、コミュニケーションを求めるものについてはその傾向は強いみたいです」
確かに、実技や対人スキルを学ぶには、実際に顔を合わせる必要があるだろう。
「そしてさきほど自由授業ということをお伝えしましたが、この学園は自由な反面、能力がとても重要になってくるため、一定の最低限の学習ノルマがついています。例えば、この学習を受ける前提授業があったり、資格必須や健康・体力状態の条件などがあります」
完全に自由というわけではなく、最低限のラインは設けられているらしい。それは当然だろう。そうでないと、本当に何も学ばない生徒が出てきてしまう。
「そして最後は部活ですが、部活はこの学園にはありません。厳密に言えば授業に内蔵されています。けど、事実上はあるらしいです」
くろとの言葉に、にゃももは困惑した。
「え??どういうこと?矛盾しています?」
にゃももの疑問に、隣にいたブラウニーが口を開いた。
「ここは私が説明しよう」
ブラウニーは前に一歩踏み出した。
「この学園の部活はたしかにないが、あることはあるよ。けど、自由授業という特徴もあり、普通の部活の考え方とは大きく違うんだ」
ブラウニーは、にゃももにわかりやすく説明しようと、指を一本立てて見せた。
「従来の部活との違いは、大きく分けて三つ。『複数にわたり所属しているか』『放課後をやめて通常授業に組み込み』『顧問の先生は不在でコミュニティとして生成』という特徴があるよ」
ブラウニーの言葉に、にゃももはさらに頭を抱えたくなった。部活なのに顧問がいない?放課後じゃない?そして複数所属?
「実際に私もイラスト部の部長として活動しているけど、他にも3DCGや3DCADの部長をやっていたり、ときにはゲーム部へ行ったり、AI部として活動もあるんだ」
ブラウニーは自身の経験を例に挙げて説明する。彼女が複数の「部活」の部長を兼任していることに、にゃももは驚きを隠せない。
「まあ要するに、所属というより『依存』というものが正しいかな」
ブラウニーは言葉を選びながら、この学園独自の「部活」の概念を説明する。もはや部活というよりは、共通の興味を持つ生徒たちが集まる「サークル」に近いのかもしれない。しかも、それが授業の一環として存在しているのだから、まさに前代未聞だ。
「でも部活は増えすぎると生徒たちの選択肢が増えすぎて迷って困るから、ここは従来の学校と同じで、新しい部活を創設したり、廃止したりする際には申請していく手続きは必要になるから、そこだけは要注意ね」
ブラウニーは最後に補足した。全てが自由なわけではなく、最低限のルールは存在するようだ。
にゃもも(もう、オリエンテーションの内容が濃すぎて頭がいっぱいなんだけど…!)
脳が情報を処理しきれない。あまりにも多くの「常識外れ」な情報が、一気に押し寄せてきたからだ。
「まあこれについては、頭で学ぶよりかは実際に入って、体験すると良いよ。特に入部届はいらないから手軽に入れるしね」
ブラウニーはにゃももの困惑顔を見て、にこやかに言った。その言葉に、にゃももは少し安心する。とりあえず、体験してみるしかない、ということか。
「ということで、部活については以上よ」
ブラウニーはそう言って、説明を終えた。にゃももは、自分の入学する学園が、想像をはるかに超える場所であることを痛感していた。この先、一体どんな日々が待っているのだろうか。
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