ごうとが意を決した様子で「腹を括って話す」と言った後、にゃももは彼の隣にあるベンチにそっと腰を下ろした。夜風がそよぎ、リーブパークの木々がざわめく音が耳に心地よい。にゃももが座った瞬間、ごうとの鼻腔をくすぐる、ふわりとした優しい香りがした。それは、石鹸の香りのようでもあり、花のようでもあり、あるいは単に、にゃももという存在そのものが持つ清潔で心地よい匂いだったのかもしれない。好意的な感情を抱いた時に感じる、いわゆる「良い匂い」だ。
(やはり女の子だな…めちゃくちゃいい匂いだ…)
ごうとは、生まれて初めて感じる、心地よい香りに戸惑いを覚えた。いつもは暴力と怒りに囚われていた彼の心に、わずかな安らぎが訪れたかのようだった。
「どうしたの?ごうとくん」
にゃももの優しい声に、ごうとはハッと我に返った。
「あ…いえ、なんでもないっす…」
ごうとは、慌てて視線をそらした。こんなふうに、女の子に優しくされることなど、彼のこれまでの人生にはなかったからだ。
「あ!そうだ、いけない!」
にゃももは、突然何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
「あなた、私のこと生徒会長って言っていたわね!でも、まだ私の名前、知らないでしょ?」
にゃももはにこやかに言った。確かに、ごうとはにゃもものことを「生徒会長」と呼ぶばかりで、名前を知らないようだった。
「おう…!」
ごうとが、少しバツが悪そうに頷いた。
「私、にゃももよ!生徒会長だけども、実は昨日入学したばかりなの!よろしくね!」
にゃももはそう言って、ごうとに手を差し出した。ごうとは、その差し出された手をじっと見つめる。こんなふうに、自分に手を差し伸べてくれた相手は、これまでいなかった。
「なんかすげぇやつと、俺、話しているな…」
ごうとは、思わずポツリと呟いた。入学して2日目で生徒会長、しかもこんな状況で自分と対峙しているにゃももが、自分にとって理解不能な存在であることは確かだった。
「そんなことないよ…私も本来なら普通の生徒として生きていくつもりだったし…」
にゃももは苦笑いを浮かべた。自分でも、なぜこんなことになっているのか、いまだに完全に理解できているわけではない。
「じゃあなぜ生徒会の長に!?」
ごうとは、純粋な疑問をぶつけた。
「まあ簡単に言えば、校長に命令された、かな」
にゃももは、タイタン校長の半ば強引な任命を思い出し、肩をすくめた。
「これってごねっていうやつなのか…」
ごうとの言葉に、にゃももは再びツッコミを入れたくなった。
「いや…それはちょっと意味が違うかも…私も正確な理由がわからないけど、校長によれば『未来を託せる希望を持つ』とかなんとか…」
にゃももは、タイタン校長の言葉を思い出しながら、正直な気持ちを吐露した。
「正直、会ったばかりで未知数なのに、どうしてそういう決めつけで判断したのか、私も知りたいところだよ」
にゃもももまた、タイタン校長の行動の真意を探ろうとしている。その共通の疑問が、ごうととの距離を少し縮めたように感じられた。
ごうとは、にゃももの言葉に深く頷いた。
「俺様からしたら、ここまでギタギタのボコボコにできない手ごわい女は、お前が初めてだ…正直お前は普通の人間じゃないってことは、馬鹿な俺様でもわかるぐらいだ…まるでお前は母ちゃんかよ、っていう感じぐらいだ」
ごうとの口から、またしても「母ちゃん」という言葉が出た。彼にとって、母親という存在が、いかに大きく、そして恐ろしい存在であるかが伺える。彼の言葉には、にゃももへの畏敬と、どこか諦めにも似た感情が混じっていた。
にゃももは、ごうとの言葉に少しだけ考え込んだ。彼にとって、「母ちゃん」は強くて、恐ろしい、そして自分を追い詰める存在なのだろう。そのイメージを、自分に重ねられていることに、にゃももは少し複雑な気持ちになった。しかし、同時に、彼の言葉の奥に隠された、深い孤独と愛情への渇望を感じ取った。
「そういえば、『母ちゃん』『母ちゃん』とは言うけど…ごうとくんの親はどんな感じなの…?」
にゃももは、ごうとの過去、そして彼の行動の根源に触れるために、ゆっくりと尋ねた。ごうとは、一瞬、戸惑ったような表情を見せたが、やがて、覚悟を決めたように、ポツリと話し始めた。
「ああ…俺の母ちゃんはな…」
彼の声は、夜の静寂の中に、ゆっくりと溶け込んでいく。その言葉の先には、ごうとが抱え込んできた、長く、そして複雑な過去が広がっている。にゃももは、静かに耳を傾けた。
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