東京23区に住むという選択は、まさに無駄の極致。
なぜそう言い切れるのか、俺自身の経験を交えて語っていこう
なぜ東京23区に住むことが一番の浪費な理由
結論からいえばシンプルに割高だから、これに尽きる。
東京、特に23区は、確かに日本の中心だ。だが、その中心にいることの代償はあまりにも大きい。
得られるメリットに対して、支払うコストが異常なほどに高いのだ。
昔なら東京23区に住んでいく意味こそはあったけど、今はITが主流でフリーランスも可能な時代。
今となれば東京23区での生活は、その観点から見れば全くもって効率が悪いと断じる。
23区が住むのが浪費な理由
家賃がそもそも高すぎるくせに狭い
これが最大の理由だろう。
東京23区で一人暮らしをしようと思えば、ワンルーム15㎡で家賃7万円なんてザラにある。
下手すればもっと高い。この金額を出して手に入るのは、ベッドと机を置いたらもう身動きが取れないような狭い空間だ。日当たりも悪く、隣の部屋の生活音が丸聞こえ、なんてことも珍しくない。
一方で、同じ7万円の家賃を払うなら、どうなるか? お隣の千葉県や埼玉県に目を向けてみてほしい。
いや、もっと言えば、少し電車に乗るだけで、都心から離れた場所であれば、2LDKどころか3LDKのファミリー向けの物件だって借りられる場所がある。
広々としたリビング、独立した寝室、ゆったりとしたバスルーム。これらが東京のワンルームと同じ値段で手に入るのだ。
この圧倒的なコストパフォーマンスの差を無視するなんて、もはや「正気ではない」という感覚なのだろう。
同じお金を払うなら、なぜこんなにも劣悪な環境を選ぶのか、と。
また家賃を落として4万円にしたとしても2DKや場合によっては1LDKが借りれる、お釣りとなる3万円で思い切って推し活するやらいろいろと浪費したほうが自分のためになる。
人が多すぎて流動性が悪く疲れる
東京は、人が多すぎる。これは誰もが認める事実だろう。
朝の通勤ラッシュは地獄絵図だし、休日の繁華街も人でごった返している。
どこに行っても人、人、人。常に誰かとすれ違い、肩がぶつかることも日常茶飯事だ。
この「人の多さ」を非常にしんどい。
人間が持つエネルギーや精神的なリソースは有限だと考える。
人が多すぎる環境では、無意識のうちに周囲に気を使い、人との接触を避けるために余計なエネルギーを消費してしまう。
電車が遅延すれば、その影響は瞬く間に広がり、移動の流動性が極端に悪くなる。
ちょっとした買い物でも、レジに長蛇の列ができ、エレベーターは満員。これら全てが、じわじわと精神をすり減らしていく。彼の目には、東京の喧騒は、単なる騒音ではなく、「無駄な疲労」を生み出す元凶として映るのだ。
都心での生活は、常に時間に追われ、周囲に気を使い、満員電車に揺られ続ける。
これでは、リラックスできる時間も、自分と向き合う時間もなかなか持てない。
こうした精神的な疲労こそが、最大の浪費だと考えている。
地方都市や少し田舎に行っても、実は不便さは感じない
「東京に住むのは便利だから」という意見もよく聞く。
だが、本当にそうだろうか?
「便利なのは、ごく一部の恩恵に過ぎない」。
確かに、東京には何でもある。だが、それは逆に言えば、「何でもありすぎる」ということでもある。
地方都市や、少し足を延ばした田舎に行っても、現在のインフラやインターネット環境があれば、実は不便さはほとんど感じない。
スーパーもコンビニもあるし、病院だってある。
デパートや映画館だって、少し出かければ大概の都市には存在する。
唯一、地方のデメリットとして挙げられるのが、「仕事の選択肢が少なくなる」ことだ。だが、それもリモートワークが普及した現代においては、デメリットが大きく減る。
インターネット環境さえあれば、どこにいても仕事ができる時代だ。
わざわざ高い家賃を払って東京に住む必要がどこにあるのか、とハイエンドは問う。
固定観念に囚われることこそが、最大の損失だと考えている。
物価が意外と高い
家賃だけでなく、実は物価も意外と高い。特に、日常的に利用するスーパーや飲食店などは、地方と比べると価格設定がワンランク上だ。
例えば、同じチェーンの飲食店でも、東京と地方では微妙に値段が違うこともある。
もちろん、選択肢は豊富にあるが、それは「選択肢が多い」というメリットに過ぎず、一つ一つの単価は高い傾向にある。
こうした細かな出費の積み重ねが、やがて大きな浪費となると指摘する。
安易に「便利だから」という理由で高い生活費を払うことを、愚かしいことだと見なしているのだ。
東京に上京するのは特別な理由がない限りはぜったいにやめよう!
東京への上京を考えている若者たちに、厳しい現実を突きつける。
大学に行っても本当に意味が薄くなった
昔は「東京の大学に行けば、良い就職ができる」という神話があったかもしれない。
だが、今はどうだろう。リモート授業が当たり前になり、地方にいても都心の大学の講義を受けられるようになった。学歴偏重の時代も終わりつつある
本当に学びたいことがあるなら、わざわざ高い学費と生活費を払ってまで東京の大学に行く意味は薄くなった。
「学費と生活費に見合うリターンが得られるのか?」という問いを投げかける。
その問いに明確な答えが出せないのであれば、それは浪費でしかない、と。
実は就職というそのものは時代遅れ
これもハイエンドの過激な主張の一つだが、私自身は「就職というそのものが時代遅れになりつつある」。
もちろん、全ての人がそうなるわけではないが、終身雇用が崩壊し、個人のスキルがより重視される時代になった。
会社に依存するのではなく、自分自身の力で稼ぐ手段を持つことが重要になっているのだ。ハ会社に縛られず、自由に生きるためのスキルを身につけることこそが、現代社会において最も賢い選択だと考えている。
わざわざ東京で「就職」という枠に収まろうとすること自体が、ある種の思考停止に陥っているとすら見ている。
けどもっと言えば仕事というのは終焉だということを認識を持ってもらいたい。
仕事というのは簡単に言えば問題解決するものだ。
その問題はいまどんどん少なくなり、今最も需要が高いのは「以下に労働をなくせるか」だ。
これは日本に限らず世界共通的であるが、日本といったアジア系は特に顕著に「労働減少」が今最も重要性が高い課題だ。
そもそも生産性があげても問題解決をほとんどしている今でこそ過剰になるから効果は薄い、ならそれなら自由な方法で働くのがいいだろう。
もっとも今は生成AIやロボットがこれからの時代インフラ系「ニーズ」関することは賄うだろう。
ITスキルが有ればわざわざ東京を選ばなくて済む
そして、最も重要なポイントがこれだ。ITスキルさえあれば、わざわざ東京に住む必要は全くない。
プログラミング、Webデザイン、動画編集、データ分析…。これらのスキルは、場所を選ばずに仕事ができる。
むしろ、東京の高い家賃や満員電車に耐える必要がなくなり、よりクリエイティブな環境で、効率的に仕事ができる可能性さえある。
スキルこそが現代の高い価値だと考える。
そして、その価値があれば、どこにいても豊かに暮らせると主張するのだ。
彼は、東京という場所に縛られる思考そのものが、現代においてはもはや「機会損失」であると考えている。
まとめ
東京23区に住むことは、多くの人にとって憧れの的かもしれない。
その実態を冷静に分析し、それが大きな浪費であると断じている。
高すぎる家賃、過密な人口による疲労、そしてリモートワークの普及で薄れていく「東京にいる意味」。
これらを総合的に考えれば、特別な理由がない限り、東京23区に住むという選択は、賢明とは言えない。
もちろん、人それぞれ価値観は違う。
東京に住むことでしか得られない経験や、築けない人間関係もあるだろう。だが、一度立ち止まって、自分にとって本当に必要なものは何か、そして、そのために支払うコストは妥当なのか、を考えてみる価値はある。
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