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【第0章第10話】夏休みの妖怪

2015年、高校2年生の夏休みが始まった。

部活動は文化部である鉄道旅行部。運動部のように毎日のように練習があるわけでも、美術部のように作品制作に追われるわけでもない。活動は1回程度で、夏休み期間中はほとんど休みだった。

俺が選んだ農業コースでは、実習のために夏休み中に学校へ行く日もあったが、それもせいぜい10日程度。

残りの約30日間は、ほとんど自宅で過ごすことになった。いわゆる、引きこもりの夏だ。

個人的にいまはこういう時間はマジでほしいというのは確かだ。

社会人は学校の夏休みのようにもっと休んでればいいとは思うけどな。
だから俺就職は嫌い、なので就職は1回目も6年、2回目に至っては3年ぐらいで終わり。というように起業を最初から全フルする気満々だ。

それはおいて夏休みにいたるエピソードは1~3年ともあったが、印象に多く、時間も余っていた2年生の時の話で語ろう。

夏休みに関するエピソードは実際にいくつかあるが、今回はその中で去年の流行語大賞となったとあるゲームのお話。

目次

某妖怪」ゲームとの出会い:社会現象を巻き起こした理由と俺が夢中になった深層

この夏休みの中心にあったのは、当時社会現象を巻き起こしていた、とあるゲームだった。それは、俺が2年生になる前年、つまり2014年に大流行した「某妖怪」のゲームだ。

最初は友達が熱心にプレイしているのを見て、「また新しい流行りものか」と、どこか冷めた目で見ていた。当時の俺は、流行り廃りにはあまり興味がなく、自分の好きな鉄道やゲームに没頭することに満足していた。

しかし、その可愛らしいキャラクターと、どこか懐かしい世界観が、徐々に俺の好奇心を刺激し始めたのだ。メディアでの取り上げ方も尋常ではなく、「一家に一台」と言われるほど、そのゲームは巷を席巻していた。

そして、一度そのゲームを始めてしまうと、俺はあっという間にその世界に夢中になった。

夏休みの間中、リビングのソファに寝転がって、ひたすらそのゲームをプレイし続けた。時には、夢中になりすぎて、親から「いつまでゲームしてるんだ」と注意されることもあったが、俺の熱は冷めることがなかった。

それは単なる時間の浪費ではなく、俺の創造性を刺激する、かけがえのない時間だったのだ。

当時の俺には、今のような時間の制約がほとんどなく、じっくりと、そして徹底的にゲームをプレイする時間があった。それは、大人になってからでは決して味わえない、贅沢な時間だった。

何がそんなに楽しかったのか?

まず、そのゲームのストーリーが想像以上に奥深く、そして長かった。

単なる子供向けの冒険物語というだけでなく、時には心温まるエピソードがあり、時にはシリアスな展開も用意されていた。個性豊かな妖怪たちとの出会い、彼らが巻き起こすユーモラスな出来事、そして時には人間と妖怪が織りなす感動的な物語。それら全てが、俺の心を捉えて離さなかった。

特に、人間と妖怪が織りなす日常の風景や、彼らの感情の機微が、俺の心に深く響いた。

単なるデータとしてのゲームではなく、そこにある「物語」や「キャラクターの個性」に、俺は強く惹かれた。まるで、自分がその物語の一員になったかのような没入感があった。

さらに、ゲームプレイそのものが、常に頭脳を要求される忙しさを持っていたことも、俺を飽きさせなかった大きな理由だ。

単にボタンを連打するだけのゲームではなく、パーティ編成、妖怪の特性の把握、スキルの組み合わせ、そして戦闘中の行動選択など、常に「どうすれば勝てるか」「どうすれば効率よく進められるか」を考えながらプレイする必要があった。頭をフル回転させながら、戦略を練るのが楽しかった。

そして、このゲームには、当時としては画期的な機能があった。

それが、同じレベルという条件でのPvP(プレイヤー対プレイヤー)戦機能だ。オンラインで他のプレイヤーと対戦できるシステムは、当時の俺にとって、まさに新鮮そのものだった。

ただストーリーを進めるだけでなく、全国のプレイヤーと自分の育成した妖怪たちで腕試しができる。しかも、相手とのレベル差がほとんどない状態で戦えるため、純粋に戦略と戦術の腕前が問われた。

「これって、すごく公正で公平だ!」

当時の俺は、このPvPシステムに衝撃を受けた。単にレベルを上げてゴリ押しするのではなく、限られた条件の中で、いかに自分の妖怪たちのポテンシャルを引き出すか。そこには、深い思考と、相手の裏をかく駆け引きが求められた。

今思えば、今の日本のゲーム業界や、ひいては社会全体に、このような公正で公平な競争環境がもっとあれば、どれだけ素晴らしいだろうと、心から思う。

札束で殴り合うようなシステムではなく、純粋な実力と創意工夫が評価される場。

それは、当時の俺が求めていた、そして後の『TITAN学園』で実現したいと考えている「公平な競争と成長の場」の原点とも言えるかもしれない。

ゲームだけでなく、当時放送されていたアニメも熱心に見ていた。

ゲームをプレイして、その世界の背景をもっと知りたいという衝動に駆られたのだ。アニメ版は、ゲームとはまた異なる視点から物語を描いており、キャラクターたちの新たな一面を発見する喜びがあった。

流行りものに乗っかっているだけ、と自分では思っていたかもしれないが、実際は、その作品の世界観そのものに深く魅了されていたのだ。

「こんな世界を、自分でも作ってみたい…」

ゲームやアニメに没頭する中で、俺の中に漠然とした創作意欲が芽生え始めていた。

それは、Youtuberになりたいという夢とも重なるものだった。

自分の好きなものを表現し、それを誰かに届けたい。人々を笑顔にしたり、感動させたりするような、そんな作品を創り出したい。当時の俺は、まだ具体的に何をどうすればいいのか、全く見えていなかった。だが、この「某妖怪」のゲームとアニメに夢中になった日々が、俺のクリエイターとしての原点を形作ったことは間違いない。

この夢中になった期間は、高校2年生の夏休みだけでなく、翌年の3年生の夏休みの半分ほどまで続いた。

合計で約2ヶ月間、俺はこの「某妖怪」の世界にどっぷりと浸かっていたのだ。それは、外界との接触が少ない引きこもりの夏だったが、俺の精神の内側では、創造性という新しい火種が、静かに、しかし確実に燃え盛っていたのだ。


夏休みの自由と、宿題への「適当さ」

この夏休みは、俺にとって自由そのものだった。部活はほとんどなく、農業コースの実習も短期間。

そのため、俺は自分の時間をほとんど全て、ゲームとアニメに費やしていた。当然、高校生である以上、夏休みの宿題も山ほど出ていたが、当時の俺はそれをろくにやっていないことも多かった

「まあ、いけるっしょ。」

そんな風に、どこか適当なスタンスで、ギリギリまで宿題に手をつけないことがしばしばだった。

提出日の前日に焦って終わらせたり、時には未提出のまま学校へ行ったりすることもあった。先生には呆れられ、友人に「また宿題やってないのか?」と笑われることもあったが、当時の俺は、そうしたことよりも、自分の「好き」を追求する方が何倍も重要だと考えていた。今思えば、これは俺の「男子版」の持つ、ある種のルーズさや、興味のないことに対する徹底的な無関心さの表れだったのかもしれない。

だが、この「適当さ」があったからこそ、俺は心ゆくまで「某妖怪」の世界に没頭し、その後の人生を決定づけるほどのインスピレーションを得ることができたのだ。宿題を完璧にこなすことよりも、自分の内面を豊かにすることを選んだ夏だった。

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