そんな多忙な日々の中、高校生活最大のイベントの一つ、台湾への修学旅行の日がついにやってきた。
3泊4日の短い旅だが、俺にとっては初めての海外。未知なる異世界への期待で胸が膨らんでいた。
1日目:初めての海外、そして異世界の洗礼
修学旅行の朝、俺は高揚感を抑えきれずに、指定された集合場所へと向かった。自宅を出る前から、すでに普段とは違う空気が漂っていた。キャリーバッグを引く音、友人たちの弾む声、そして先生たちの指示が飛び交う。
全ての音が、これから始まる旅への期待感を煽っていた。バスに乗り込み、一路、成田空港へ。広大な敷地にそびえ立つ空港の建物は、まるで巨大な城郭のようだった。
日本の玄関口である成田空港に到着した瞬間、俺の心には「ついに日本脱出だ!」という強い実感と、解放感が押し寄せた。
巨大なターミナル、飛び交う外国語、そして次々と離陸していく飛行機。
世界中の人々が、それぞれの目的地へと旅立っていく。その光景は、俺の視野を大きく広げてくれるようだった。全てが新鮮で、まるで夢の中にいるかのようだった。
そして、いよいよ飛行機に乗り込み、数時間のフライトを経て、台湾の桃園国際空港に到着した。
窓の外には、見慣れない南国の植物が広がり、独特の空気が機内にも流れ込んできた。
海外の空港に降り立つのは初めての経験だ。入国手続きには色々と時間がかかると事前に聞いていたが、台湾の場合は日本との相性の良さや、観光客を歓迎する空気もあってか、驚くほど早くスムーズに入国手続きが終わったのである。
パスポートを提示し、指紋を読み取られ、あっという間に手続きは完了。拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。
しかし、問題はここからだった。
台湾に出かけたのは4月だったのだが、その暑さは尋常じゃない。日本であればまだ桜が咲き、肌寒い日もある季節なのに、台湾の4月はまるで日本の7月のような、蒸し暑い真夏の気候だったのだ。
空港から一歩外に出た途端、熱気と湿気が肌にまとわりつく。まるで熱帯のジャングルに足を踏み入れたかのような感覚だった。
「まさか、こんなに暑いとは…!」
半袖のシャツ一枚でも汗が止まらない。俺は思わずそう呟いていた。気温だけでなく、湿度も高く、息をするだけで体が熱くなるような感覚だった。じっと立っているだけでも、額から汗が流れ落ちる。日本の春とは全く異なる気候に、戸惑いを隠せなかった。
けど、その暑さ以上に俺が強く感じたのは、目の前に広がる風景が見慣れない異世界空間に来たような感覚だったことだ。
空港からバスに乗り込み、街中へと向かうにつれて、その感覚はさらに強まった。看板に書かれた漢字は日本のそれとは少し異なり、独特の字体で書かれている。街を走るバイクの多さには圧倒された。
信号待ちの交差点には、数百台ものバイクがひしめき合い、発進と同時に一斉に動き出す光景は、まるで巨大な生き物のようだった。建物の色使いも鮮やかで、日本ではあまり見かけない派手な色彩が目を引く。
そして街角から聞こえてくる、抑揚のある独特の言語。全てが新鮮で、五感を刺激される。まるで、これまで見てきた世界とは全く違う、別の惑星に降り立ったかのような錯覚に陥った。
それは、自分が今まで暮らしてきた「当たり前」の世界が、ほんの一握りのものに過ぎないことを教えてくれるようだった。
海外旅行というと、到着した初日は移動で終わってしまい、ホテルに直行して休むだけになることが多い。
しかし、今回の修学旅行では、1日目から本格的な観光へ繰り出した。どこに行ったのかは正直、時間が経ちすぎてしまって詳細には覚えていないが、とにかく結構盛り上がったなという記憶は鮮明に残っている。
初めての海外での観光は、何もかもが目新しく、友人たちと声を上げながら、その場の雰囲気を楽しんだ。道行く人々の服装や表情、店先の賑わい、立ち上る独特の匂い。全てが好奇心の対象だった。
そして、台湾旅行で一番覚えているのは、俺らのクラスが他のクラスに比べても大食いだったことだ。
どの食事会場でも、出された料理をあっという間に平らげ、他クラスの生徒たちを驚かせていたのをいまでも覚えている。テーブルに並べられた大皿料理が、あっという間に空になっていく。
他のクラスがまだ半分も食べていないのに、俺たちのテーブルではもう次の料理を催促しているような状態だった。
特に、料理は、どれもこれも美味しくて、食欲旺盛な俺たちをさらに刺激した。独特の香辛料が効いた料理、甘くて冷たいデザート、揚げたての大きなフライドチキン。
普段の学校給食とは違う、本場の味に舌鼓を打った。食を通して異文化に触れる体験は、言葉以上に雄弁だった。
宿泊したホテルはビジネスホテルだったが、日本のビジネスホテルと比べてもかなり広く、豪華な印象だったのは覚えている。
部屋に入った瞬間、その広さに驚き、思わず歓声を上げてしまったほどだ。日本のビジネスホテルでは、スーツケースを広げるスペースすらままならないことも多いが、そこは広々としていて、友人たちと談笑するスペースも十分にあった。清潔で快適な空間は、長時間の移動と観光で疲れた体を癒してくれる、まさにオアシスだった。
ふかふかのベッドに体を沈めた時の、あの安堵感は今でも忘れられない。
2日目:新幹線で台中へ、そして文化の衝撃
修学旅行2日目、俺たちは台中へと向かうことになった。朝食を済ませ、バスに乗り込み、台北駅へ。
日本の駅とは少し違う、広々とした空間に、高速鉄道の車両が停車していた。移動手段は、なんと台湾新幹線だ。
台湾新幹線は、日本の新幹線技術をベースに建設されているため、車両のデザインや内装、そして駅の雰囲気まで、どこか日本の東海道新幹線に乗った気分にさせてくれる。
車両の色使いや、座席の配置、車内アナウンスの響き方まで、既視感を覚えるほどだ。車窓から流れる風景は、日本のそれとは少し異なるが、高速で移動する感覚はまさに新幹線そのものだ。
日本の技術が海外で活かされていることに、俺の心が静かに感動していた。技術が国境を越えて、人々の生活を豊かにしていることに、システムを愛する俺は喜びを感じた。
もちろん、あくまで修学旅行だからな。
台中に行ったときは、ある場所へ学びに行ったのだが、授業で学んだ内容が長すぎて、今となっては詳細に覚えていない。
歴史的な建造物だったか、文化施設だったか。熱心に説明を聞いたはずだが、残念ながら記憶の彼方だ。
ガイドさんの話に耳を傾け、メモを取っていたはずだが、それが何だったのか、今では思い出せない。ただ、その場所が、台湾の歴史や文化を学ぶ上で重要な意味を持つ場所だったことは覚えている。
だが、この台中での訪問を通じて、俺は初めて仕事に関する文化を知り、大きな衝撃を受けた。
そこには、日本とは全く異なる仕事に対する考え方があったのだ。訪れた場所のスタッフたちは、皆が明るく、そして楽しそうに働いているように見えた。
日本の職場では、とにかく「マナー」「マナー」がうるさく、形式的な礼儀作法や、表情に出さないことが美徳とされる風潮がある。
顧客に対しては常に無表情で、感情を露わにすることはご法度。
まるで感情を殺してロボットのように働くことが求められるような窮屈さを、当時の俺は感じていた。だが、台湾で見た人々は、どこか笑顔で、コミュニケーションもめっちゃとっていた。
彼らは、作業中も談笑し、互いに協力し合い、それが自然な形で仕事の効率に繋がっているように見えた。お客さんとの距離も近く、親しげに会話をしている。彼らの笑顔は、心からのものに見えた。
「日本の場合、とにかくマナーマナーがうるせぇ…あのぐらいさわやかさがいいのだ」
当時、俺は心の中でそう思った。日本の働き方は、どこか窮屈で、人間らしさが失われているのではないかという疑問を、この時に初めて抱いたのだ。
いまでいう効率を追求するあまり、人間関係が希薄になったり、感情を抑え込むことが求められたりする日本の職場環境に対して、台湾で見た笑顔と活気に満ちた働き方は、俺の感性を強く揺さぶった。
「これぐらいあってもいいぐらい日本の働き方はおかしい」という強烈な違和感は、この時に初めて気づいた、俺の価値観の大きな転換点だった。それは、将来、自分が働く場所、あるいは自分が創り出す場所は、もっと人間らしく、もっと笑顔が溢れる場所であるべきだという、漠然とした理想へと繋がっていった。
その後は新幹線で台中を後にし、バスに乗ってどこかへ向かったのだが、どこへ向かったかは正直忘れてしまった。
しかし、おそらくあの雰囲気の場所は九份(きゅうふん)だった気がする。
提灯の灯りが連なる狭い坂道、ノスタルジックな古い建物、そして立ち込める熱気。まるで映画の世界に迷い込んだかのような幻想的な風景が、記憶の片隅に残っている。
坂道の両脇には、土産物店や飲食店が軒を連ね、活気にあふれていた。提灯の柔らかな光が、石畳の道を照らし出し、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
けど、この時は晴れていて、絶景が広がっていたにもかかわらず、なんともこのとき具合が悪い状態だった。
というのも、実は数日前から盲腸に悩まされていて、この時は悪化していたのだ。ズキズキとした痛みが腹部に走り、せっかくの美味しい台湾料理も、絶景も、心ゆくまで楽しむことができなかった。
夜市の賑わいの中で、友人たちが美味しそうに屋台の食べ物を頬張る姿を横目に、俺は食欲不振に陥っていた。せっかくの海外旅行なのに、体調不良に悩まされるとは、本当に残念な経験だった。
体が最高の状態でないと、どんな素晴らしい体験も半減してしまう。そう痛感した瞬間だった。
その後はホテルに戻り、安静に過ごした。この日も、大食いのクラスメイトたちは夜食を楽しんでいたようだが、俺は早々にベッドに入り、微妙な痛みに耐えながら眠りについた。
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