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【第0章第17話】記憶が蔓延る貴重な授業

台湾修学旅行を終え、3年生としての日常が本格的に始まった。

就職活動、新たな部活動、そして生徒会活動。多忙な日々の中で、俺は未来への道を模索し続けていた。

そんな高校生活の終盤に差し掛かった頃、特に印象に残っている授業がいくつかある。それは、俺の創造性や、将来の夢に深く繋がるものだった。

目次

「理想の家」プロジェクト:Youtuberハウスの誕生

まずその中でも特に印象に残っているのは、ある授業で行われた「理想の家」についてのプロジェクトだ。

生徒それぞれが、将来住みたい家を自由に設計し、発表するという内容だった。

一般的な授業であれば、家族構成やライフスタイルに合わせた間取りやデザインを考えるものだろう。

しかし、俺が作り上げたのは、そんな普通の家ではなかった。俺の頭の中にあったのは、当時、情熱を傾けていたYoutuberとしての未来。だから、俺は迷うことなく、「Youtuberハウス」というコンセプトを打ち立てたのだ。

その発想のインパクトの強さからか、クラスの中から代表1人で発表してほしいという先生の要望に対し、俺が選ばれてしまったのである。

まさか自分が選ばれるとは思ってもいなかったが、これも何かの縁だと、俺は壇上に上がった。

もちろん、この「Youtuberハウス」は、単なる憧れや夢物語だけで終わらせてはいなかった。

当時から俺は、Youtuberとして活動していく上で、どうしても避けられない現実的な問題が生じることを理解していた。

それは、何よりも「騒音」だ。ゲーム実況にしろ、解説動画にしろ、Youtuberが活動する際には、大なり小なり声が出る。ゲームの熱気で叫んだり、解説に力が入って声が大きくなったりすれば、当然、近所迷惑になりがちだ。

集合住宅であれば尚更、隣人とのトラブルに発展する可能性も高まる。

そのため、俺が設計したYoutuberハウスでは、「スタジオレベルの家」という発想を基盤に、防音は当然のこととして盛り込んだ。壁には特殊な防音材を入れ、部屋の配置も、音漏れしにくいように工夫した。

当時の俺には、いつかマイホームを持つことが当然という思想があった時代だったため、このYoutuberハウスも、単なるスタジオではなく、まるでデザイナーズ系のマイホームのような外観と間取りになっていたのが特徴だ。

間取りはというと、当然Youtuberになるという目標があったから、部屋全体が専用化されているのが特徴だ。

まず、一つ目の部屋はPCの部屋。ここは、動画編集をするための部屋であり、何よりもコンセントが多いのが特徴だった。複数のモニター、高性能なPC、外付けHDD、充電器など、Youtuberの機材は電力消費が多い。

そのため、壁一面にコンセントを配置し、電源タップいらずで全ての機器を接続できるように設計した。快適な作業環境は、効率的な動画制作に不可欠だと考えていたのだ。

そして、二つ目の部屋は実況Live部屋。ここは、主にゲーム実況をするための部屋だ。

先述の通り、騒音がすごいことになるので、この部屋は特に防音性が高めに設計されていた。

壁は厚く、吸音材もふんだんに使う。ドアも密閉性の高い防音扉を採用し、外部への音漏れを徹底的にシャットアウトする。マイクの設置位置や照明の配置まで細かく考え、最高のパフォーマンスを発揮できる空間を目指した。

さらに、リビングも特徴的だ。

大食い企画など、Youtuberの動画では何かと食べ物を扱う機会が多い。

そのため、リビングは広い部屋に加えて、食べ物などで汚れにくい、汚れにくい素材を床や壁に採用することを提案した。万が一、飲み物をこぼしたり、食べ物を落としたりしても、すぐに拭き取れてシミにならない素材を選ぶ。機能性とデザイン性を両立させることにこだわった。

キッチンも、動画撮影を意識してカメラが起きやすいスタイルにしたり、風呂なども実況性が高いものを用意したりと、まさにYoutuberに特化した家であることを、細部にわたって説明したのだ。

例えば、キッチンはアイランドキッチンにして、調理風景を様々な角度から撮影できるようにしたり、風呂場には防水カメラを設置し、ユニークな企画を検討したりと、想像力を働かせた。

俺の発表は、クラスメイトからは笑い声が漏れる場面も多かった。

高校生が考える「理想の家」としては、あまりにも突飛な内容だったからだろう。

しかし、その一方で、授業に招かれていた不動産関係者や建築の専門家は、俺の発表を真剣に、そして参考になりそうな顔で聞いていたのは覚えている。

彼らの表情には、「面白い視点だ」「現実には難しいが、発想としてはアリかもしれない」といった、プロならではの関心が読み取れた。

この時、俺は自分の発想が、単なる高校生の夢物語で終わらない可能性を秘めていることを、わずかながらも感じ取った。


プログラミングとの出会い:マウスを掴みたい衝動

もう一つ、実は印象的だったのはプログラミングの授業だ。

いまでこそ、2025年現在では、学校の授業でプログラミングが義務化されていて当然のように受けられる時代になっている。

誰もが小学校からプログラミングに触れる機会がある。だが、当時、俺が高校生だった頃は、プログラミングは選択制ということもあり、特別な授業レベルにとどまり、自ら学びにいかないと情報を得られない時代だった。

正直、もう少し遅く生まれたかったと、今でも時々思う。

その主な理由だが、当時、俺が何よりも魅了されていた「マイクラ」のプログラミング当時はMOD開発などが主流)に、授業で触れたかったのが主な理由だ。

マイクラ、つまり「Minecraft」は、世界一売れたゲームであり、ブロックを積み重ねて自由な世界を創造できるサンドボックスゲームだ。実は俺、中学かそれ以前からマイクラを持っていたが、当時はゲーム実況をするよりかは、MOD(Modification、改造データ)をとにかく遊びたいという気持ちが強かったため、プログラミングやゲーム開発そのものにはあまり深く触れていなかった。

MODを導入して、新しいアイテムやモンスター、地形などを追加し、ゲームの世界を広げることに夢中だったのだ。もし、当時、学校でマイクラのプログラミングを学べる授業があったなら、俺の創造性はもっと早く、もっと深く開花していたかもしれない。

話を戻すと、この授業で扱われたプログラミングは、複雑なコードを直接打ち込む形式ではなく、ビジュアルプログラミング言語、つまりブロック形式だったので、比較的簡単に理解することができた。

Scratchのような、視覚的にブロックを組み合わせてプログラムを構築するタイプだ。最初は戸惑ったものの、すぐにその直感的な操作性に引き込まれていった。

なにより印象に残っているのは、その授業を受けている最中に、俺の心の中に「今すぐとにかくマウスを、マウスをとにかく持ちたい!」という強い衝動が沸き起こったことだ。まるで、手の中にマウスがないと、自分の思考が具現化できないかのような焦燥感に駆られた。

それだけ夢中になって操作し、自分のアイデアを形にしようと没頭したのだ。頭の中で描いたものが、マウスとクリック一つで画面の中に現れる。

ブロックを並べ替えるだけで、キャラクターが動いたり、簡単なゲームが作れたりする。その手応えは、非常に大きかった。

このプログラミングの授業は、俺が将来、メタバース作成するための「システム」を創造していく上で、非常に重要な経験となった。

頭の中のアイデアを、現実のPC上で形にする喜び、そしてそれを実現するためのツールとしてのプログラミングの重要性を、この時、初めて肌で感じたのだ。だが当時はそこまでプログラミングがいかに至上主義なことは転職の転換期になるまでは知らない。

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